甲子園の風BACK NUMBER
「忘れられない警察の取り調べ」東大を卒業して高校野球監督になり、“不良”野球部員から学んだこと「昔はバックネット裏で勉強させていた」
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
posted2023/07/31 17:58
熊谷高校の監督時代、ノックを行う蒲原弘二郎(東大野球部出身)
本人としては、決して野球部の監督を熱望していたわけではなく、将来的に高校野球の監督ができたらいいなと、漠然と思っていた程度だった。
「野球部の監督をやってくれといきなり言われたんです。六大学野球の審判をやっているので土日がつぶれるのは困ると伝えましたが、だったら調整して両方やってくれという話になってしまった。リーグ戦期間中は、土日はもちろんのこと、試合があるなら平日だって神宮球場へ行き、ふだんの土日は高校野球部の練習や試合を見る生活です。教師1年目だったので、部活はもちろん、学校のこともわからない状態で、手探りでやっていました。今になって振り返るともっといい指導をできたなと反省しているし、当時の生徒には申し訳ないです」
蒲原の新米教師時代の様子をあらわすエピソードがある。熊谷高校時代、野球部の一部の生徒に命じ、練習時間中のバックネット裏で勉強をさせていたのだ。
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「熊谷高校は進学校ですから、同じくらいの競技能力だったら、勉強ができる子を試合に使う方針の部活が多かったんですよ。親御さんは勉強面での指導を学校に期待しているのに、そのお子さんは野球部に膨大な時間を割いている。それで勉強の成績が悪いというのでは困りますから、野球部としても、そういう生徒には強制的に勉強させていましたね。親御さんは喜んでいましたが、生徒のことを思うと、あれでよかったのかと今更ながら悔やむところではあります」
4浪で大学に入り、大学院に3年いた蒲原は、もう30歳に手が届きかけてはいたが、まだ社会に出たばかり。野球指導者としての訓練も受けておらず、戸惑うことだらけだっただろう。そんなときに、六大学野球の審判としての活動は、蒲原に軸を与えたようだ。
「当然ルールに関しては詳しくなりますが、『5つのことを心がけて野球に向き合いなさい』と先輩の審判に言われました。その5つとは、グラウンドに感謝する、ルールを守る、審判に敬意を示す、相手に敬意を示す、自分たちにプライドを持ってやる。選手時代は考えたこともありませんでしたが、この5つは今でも生徒に伝えています」
“不良”野球部員の目が忘れられない
熊谷高校の後、2校を経て現在の大宮高校にいたる。うち3校では野球部監督を務めた。キャリアと年齢を重ねるにつれ、蒲原の選手指導は変化していった。
「いまは、彼らの人生の幸せにつながるような部活動にすることを、第一の目標にしています。我々指導者よりも長く生きる彼らにとって、いい時間を過ごしてほしい。そのためには、私の感情で動いたり、強く頭ごなしに言ってはいけないなと考えながら接しています。選手の自主性やリーダーシップを育むため、ことさら強制するような言葉かけはしません」