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競馬PRESSBACK NUMBER
「出産しても、またレースに乗ろうと思っていた。でも…」21歳で笠松の先輩騎手と結婚、“女性騎手1期生”中島広美48歳が語る「復帰をあきらめた理由」
text by
大恵陽子Yoko Oe
photograph byHiromi Taguchi(L)/Keiji Ishikawa(R)
posted2023/06/11 17:00
最終騎乗は26歳だった中島広美。笠松で通算120勝を挙げた女性ジョッキーが結婚後も続けた騎手を辞めた理由とは…?
――それぞれJRA、地方自治体と主催者が異なり、中央競馬のほうが規模は何倍も大きいですね。
田口 まぁでも、私もそんなお金持ちの娘じゃなかったから、特に何とも思いませんでした。それに、笠松競馬場の方々にはすごく良くしてもらいました。女性騎手は初めてだったから、部屋の一部を私のためだけにリフォームして女性用のトイレやお風呂を作ってくれたり、簡易サウナも設置してくれました。すごく感謝しています。あの頃は何とも思わなかったけど、大人になってから「たいそうな事だったよな」と気づきました。
ライデンリーダー輩出の名門厩舎の馬で初勝利
――たった一人のために何百万円と費用をかけてくれたんですね。あとに続く女性騎手のためにも必要なことだったと思います。デビュー戦のことは覚えていますか?
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田口 騎乗したのは所属厩舎の馬で、たしか引っ掛かる馬で逃げたと思います。
――新人騎手を逃げ馬に乗せるということは、そのまま粘れば好勝負になるかも、と馬主や調教師から応援の意味もあったのかもしれないですね。
田口 そうやったと思います。所属厩舎の調教師はすぐに亡くなられたので3年くらいしか所属しなかったんですけど、すごくいい先生で、たくさんのことを教えてもらいました。初めての女性騎手だったので、私の騎乗馬を用意するのも大変だったと思います。
――初勝利は17戦目、デビューした月の月末でした。
田口 私が勝てないということで、当時トップ厩舎だった荒川友司調教師が騎乗馬を用意してくださったんです。ライデンリーダー(笠松デビューから無敗で桜花賞4着)を育てた調教師で、私からしたら雲の上の存在でしたが、こうしてみんながバックアップしてくれて、強い馬で初勝利を挙げることができました。勝った時の気持ちはあんまり覚えていないけど、嬉しかったし安心したっていうのがあったんじゃないかなと思います。
女の子だからって負けたくない
――競馬場全体で育てよう、という雰囲気だったことが伝わってきます。デビューした92年はまだバブル景気の名残りがあったと思いますが、笠松競馬場の雰囲気は?