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騎手になってほしい息子が「プロ野球選手になりたい」その時、元騎手の両親は…母が明かす“JRAジョッキー田口貫太”誕生秘話「名前の由来はアニメの…」

posted2023/06/11 17:01

 
騎手になってほしい息子が「プロ野球選手になりたい」その時、元騎手の両親は…母が明かす“JRAジョッキー田口貫太”誕生秘話「名前の由来はアニメの…」<Number Web> photograph by Hiromi Taguchi(L)/Sankei Shimbun(R)

今年3月に騎手デビューした田口貫太(右)。中学校までは騎手ではなくプロ野球選手を目指していたという。騎手になってほしかった両親は…

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大恵陽子

大恵陽子Yoko Oe

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Hiromi Taguchi(L)/Sankei Shimbun(R)

 今年3月、JRAで初めて「母が元騎手」というジョッキーがデビューした。名前は田口貫太(栗東・大橋勇樹厩舎)、その母・田口広美(旧姓:中島)さんは女性ジョッキーの人数がまだ多くない中、地方競馬の笠松競馬で120勝を挙げ、20代なかばで騎手を引退した。

 日本では珍しい「母子ジョッキー」は、騎手の楽しさも苦労も共感しあえるという。出産から今に至るまでの話を母・広美さんに聞いた。(全2回の第2回/前回は#1へ)

生まれた直後に厩舎の馬が金星

――第一子出産後も持ち続けていた騎手免許を返上し、その年の暮れに生まれたのが田口貫太騎手でした。

田口 夫から貫太という名前はどうかと聞かれて、男の子で「一つのことを貫く」っていいなと思いました。画数もいいし、OKしましたけど、どうやら夫はアニメ「一発貫太くん」が好きで、そこから取ったらしいんです……、ホント恥ずかしい(笑)。

――貫太騎手が今後活躍した時には語り草になりそうなエピソードです(笑)。どんな赤ちゃんでしたか?

田口 貫太が生まれた直後にミツアキタービン(笠松・田口輝彦厩舎)がJRAに遠征して勝ったんです。貫太が寝ている病室で応援していて、感動しました。田口家では「すごいわ、貫ちゃん。幸運を運んできた男の子」みたいな感じで話題になりました。

「騎手じゃなくてプロ野球選手になる」

――地方競馬の馬がJRAで勝つのはものすごいことですよね。貫太騎手は幼い頃から競馬に興味を持っていたんですか?

田口 貫太はプロ野球選手になりたかったんです。小学4年生くらいで硬式野球を始めて、「騎手じゃなくてプロ野球選手になる」と言っていました。

――ご両親ともに騎手経験者ですが、騎手になってほしいという思いは?

田口 生まれた時から騎手になってほしいと思っていました。身体が小さかったので5歳くらいから夫婦で「騎手になってほしいな」と話していました。その思いを本人には言っていなかったですけど、私は騎手はすごく素晴らしい仕事やと感じていたから、勧めたいと思っていました。中学の野球チームではご飯をたくさん食べさせて体を大きくするという方針だったんですけど、「この子は騎手にさせたいので、あまり食べさせないでください」とチームにお願いしていました。でも、本人のプロ野球選手になりたいっていう気持ちを否定するのはナシだと思って、トスバッティングの練習に付き合ったり、道具もいっぱい買って応援しました。

野球少年が競馬騎手を目指したキッカケ

――多くの騎手から「危ない仕事だから子どもにはやってほしくない」という話も聞きますが、そのあたりの心配は?

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