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ハーツクライはなぜディープインパクトに勝てたのか? ルメールが明かす、伏線となった“プチギレ”「レースの後にはちょっと怒りも覚えました。話が違うって(笑)」
posted2023/06/04 17:00
text by
石田敏徳Toshinori Ishida
photograph by
Sankei Shimbun
Number917・918号掲載『<番狂わせの真実>ハーツクライvs.ディープインパクト「日本近代競馬の結晶を倒せ」』(2016年12月15日発売)を特別に無料公開します。※肩書は当時のまま、取材は2016年に行いました。
大きなレースでは2着ばかり
2005年12月25日、クリスマス当日に行われた第50回有馬記念は、無傷のグランプリ制覇に挑むディープインパクトが断然の主役と目されたレースである。しかし爆発的な末脚を武器に連勝街道を歩んできた三冠馬の前には、意表を突く先行策に打って出たハーツクライが立ちはだかった。
ディープインパクトに初めての土をつけたあの勝利は、奇襲を実らせた金星と解釈されることが多い。だが、そうではなかった。そもそも私たちの目にはハーツクライという馬の“本質”が見えていなかったのだ。勝利に導いたクリストフ・ルメール騎手の回想を聞くと、そのことがよく分かる。
今から11年前、26歳の自分が日本で直面していた苦悩の日々を、ルメールは次のように振り返る。
「大きなレースでは2着ばかり。ハナ差の負けも続きました。勝ちたくて、なのに勝てなくて、僕もまだ若かったし、イライラすることもありました。あの頃は本当に大変な時期でしたね」
日本の競馬に参戦するようになった02年以降、着々とステップアップを果たし、GIの舞台でもたびたび2着に食い込んできたルメールだが、JRA重賞はなぜか未勝利。“大きなレース”をなかなか勝てずに苦しんでいた。05年の秋も悔しい惜敗が続き、ダイワメジャーとコンビを組んだマイルCSではハットトリックの強襲に屈してハナ差の2着。ハーツクライの手綱を取った翌週のジャパンCでも、英国のアルカセットに約3cm差という僅差で敗れた。
2週連続のハナ差負け、通算5回目のGI・2着となったこのジャパンCは、ルメールにとってとりわけ痛恨の一戦だった。勝てたレースをみすみす落としてしまったという後悔が彼にはあった。
天皇賞・秋のレース後に感じた、ギャップ
伏線となったのは初めてコンビを組んだ秋の天皇賞である。休み明けで心身ともにフレッシュな状態だったハーツクライは勢いよくゲートを飛び出したものの、「後ろのポジションが好きな馬で最後にキレる脚を使う」と周囲にアドバイスされていたルメールは馬を抑えて中団を進む。ところがいざ加速を促しても反応は鈍く、エンジンにはなかなか火が点かなかった。