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「俺の記録を超えろよ」三笘薫が川崎Fの後輩・山田新の背中を押した日…大学で爪を研いだストライカーの焦燥「(宮代)大聖に負けられない」
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いしかわごうGo Ishikawa
photograph byMasashi Hara/Getty Images
posted2023/04/28 11:01
![「俺の記録を超えろよ」三笘薫が川崎Fの後輩・山田新の背中を押した日…大学で爪を研いだストライカーの焦燥「(宮代)大聖に負けられない」<Number Web> photograph by Masashi Hara/Getty Images](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/9/3/700/img_93a18a38b2b3156a03a8823444f37d71287398.jpg)
U-18時代はトップ昇格を逃すも、桐蔭横浜大学を経て川崎Fに“帰還”したFW山田新。同じく大卒組である三笘薫から、激励の言葉をかけられていた
大聖とは、川崎フロンターレのFW・宮代大聖のことである。
山田と宮代はアカデミー時代の同期だ。U-18時代にはツートップを組んでいた間柄でもある。ただU-10からアカデミーで育ち、年代別代表に選ばれ続けてきた宮代は同世代でも別格の存在だった。高校3年生になったばかりの4月にプロ契約を勝ち取った事実が、その凄さを如実に物語る。
大学時代は、プロまで一気に駆け上がった宮代を物差しに精進し続けた。
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「大聖がいたので、自分が昇格できないのは当たり前でした。でも、そんな大聖でもフロンターレではなかなか試合に出られなかった。だから、大聖以上を目指さないといけない。それが大学での基準になりました。彼はどう思っているかわからないですけど、自分にとっては大きい存在ですね。アカデミー時代はずっと前を走られていましたけど、『いつか逆転してやる』って思っていました」
2022年の年末、その宮代がサガン鳥栖での期限付き移籍を終えて、来季からフロンターレに復帰することが発表された。それは山田にとって、「U-18時代の続き」がトップチームで実現することを意味していた。
「もちろんトップチームでまた一緒にやれる嬉しさはありました。ただ(4-3-3の場合)1トップのポジションを大聖とも争うのか、と複雑でもありましたけど(笑)」
正直に吐露してしまうところが、実直なストライカー気質の山田らしい。
宮代大聖は同い年の山田新をどう見ている?
では、一方の宮代はどうだったのだろうか。
山田の“目標”にされていた男は、この4年間、プロの舞台で戦い続けてきた。大学での山田の動向を熱心に気にするタイプではないが、「親から近況を聞いたりはしていましたよ」と明かす。
「フロンターレU-18で一緒だった高吉(正真/ギラヴァンツ北九州)もそうですが、桐蔭横浜大学にも知り合いが何人かいるので。プレーは観ていなかったですが、シン(山田)が大学選抜に選ばれていたのは知っていました」
そして宮代も「また一緒にやれるんだ」と同期との再会を素直に喜んでいた。
「プレーも性格も変わっていないですよね。誰とでも仲良くできるし、強くて、速くて、ガッツがあって……。パワフルなスタイルも変えずに、自分の特長を何倍にもして帰ってきたなって」