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「俺の記録を超えろよ」三笘薫が川崎Fの後輩・山田新の背中を押した日…大学で爪を研いだストライカーの焦燥「(宮代)大聖に負けられない」
posted2023/04/28 11:01
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph by
Masashi Hara/Getty Images
「知ってるよ」
雲の上の存在だと思っていた人に、明るくそう言われた。
声の主は、日本代表の三笘薫だった。
2022年、桐蔭横浜大学の4年生だった山田新は通っているジムでアルバイトをしていた。ある日、そこに帰国中の三笘が来たのである。
「大学で点を取ってるのも知ってるよ」
山田は川崎フロンターレのアカデミー出身者だ。
三笘は3学年上の先輩になるので、アカデミー時代に一緒にプレーした経験はない。一度だけ卒業後の三笘がOBとして練習に参加したことはあったが、そのときに会話らしい会話を交わした記憶もなかった。
翌年からクラブに加入することは公になっていたが、自分の存在など三笘が知るはずがない。そう思い、「来季からフロンターレに加入する、アカデミー出身の山田新です」と恐る恐る挨拶した。
そこで「知ってるよ」と言われたのである。
あの三笘薫が、自分のことを認識してくれている。感激と戸惑いが入り混じった表情を浮かべていたであろう後輩に、先輩は気さくに話しかけてくれた。
「薫さんは『大学で点を取ってるのも知ってるよ』と言ってくれたんです」
山田新にとって三笘薫は“道標”だった
同じ川崎フロンターレのアカデミー出身であり、大学を経由して日本代表まで駆け上がった三笘薫の存在は、大学生の山田新にとって大きな“道標”だった。ポジションもプレースタイルも異なるが、大学時代の三笘が何を考え、どう過ごしていたのかを参考に、自らも試行錯誤していたからだ。
「自分の中で『フロンターレに戻って活躍する』というイメージを強く持っていましたし、薫さんが大学を経由した背景はいろんな記事を読んで知っていました。特に『フィジカル面を突き詰めていた』という点に影響を受けて、そこから自分なりに勉強するようになったんです」
筑波大時代の三笘には、陸上専門の指導者から走り方のアドバイスを受け、体の仕組みを論理的に学ぶことでドリブルをさらに磨き上げたというエピソードがある。座学にも意欲的で、運動生理学や栄養学などを学んでいたことも広く知られた話だろう。山田はそこからヒントを得て、自らのプレースタイルの強化に取り組んでいた。