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「俺の記録を超えろよ」三笘薫が川崎Fの後輩・山田新の背中を押した日…大学で爪を研いだストライカーの焦燥「(宮代)大聖に負けられない」
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byMasashi Hara/Getty Images
posted2023/04/28 11:01
U-18時代はトップ昇格を逃すも、桐蔭横浜大学を経て川崎Fに“帰還”したFW山田新。同じく大卒組である三笘薫から、激励の言葉をかけられていた
「自分はフィジカル面が特徴でもあるので、トレーニング方法も自分で調べてやっていました。大学にもトレーナーはいましたが、個人のトレーニングを見てくれる人がいなかったので、体幹だったり瞬発系のメニューは動画を見たり、本を読んで勉強していましたね。あとは『どのタイミングで何を食べるか』という食事面も。幸い実家暮らしだったので、細かくオーダーすると親もサポートしてくれました。それはすごくありがたかったですね」
重要なのは、三笘のように自ら課題を見つけ、それを主体的に改善し続けられるかどうかなのだろう。山田は“三笘イズム”に自分なりの工夫を加えながら研鑽を積み、スピードとパワーに磨きをかけて「大学ナンバーワンのストライカー」と呼ばれるまでに成長を遂げることができた。その活躍は高く評価され、大学4年の5月には翌シーズンから川崎フロンターレの一員になることが発表された。
学生時代の葛藤「戻りたいと思っていたけど…」
U-18時代、実力的にフロンターレのトップチームに昇格できないことは予想できていた。「4年後に戻ってくる」。そう誓って始まった大学生活だった。
自身の成長にベクトルを向けていた一方で、焦りもあった。
大学在学中に、クラブが国内随一の“常勝軍団”になり始めていたからである。優勝するのが当たり前のビッグクラブになっていく様子を目の当たりにして、手の届かない遠い存在になっていくような感覚にも襲われた。
「フロンターレに戻ることを目標にU-18を退団したんですが、僕が大学に入ってからタイトルを多く獲るようになった(笑)。もちろん優勝は嬉しかったですけど、不安もありました。試合を見ていても、ただただずっと強かった。戻ろう、戻りたいと思っていたけど、『自分の居場所がある』とはとても思えなくて……」
どれだけ努力を積み重ねても、あの場所にはたどり着けないのではないか。そんな焦燥感に駆られた時期もあったという。
だがそういう逆境に燃えるのも、ストライカーの性なのかもしれない。心が折れそうになっても、目標を下方修正することなく、その度に自分を奮い立たせた。
「フロンターレが強かったからこそ、そこに入るために『もっとやらないといけない』と自分を追い込むことができた。離れていけばいくほど、それ以上に努力をしないといけないという考え方になっていました」
山田は「それと……」と同僚ストライカーの名前を挙げた。
「大聖に負けられないという思いもありました」