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「野村克也自身がささやきの被害者だった」江本孟紀75歳が力説する“逆説のノムラ論”「大記録の陰に“逆説的野村再生工場あり”」
text by
江本孟紀Takenori Emoto
photograph byTakuya Sugiyama
posted2023/02/11 11:00
時に冗談を、時に野球談義を交わしてきた野村克也と江本孟紀。エモやんが明かす「本当の野村克也」とは――
「あいつが勝てなくなったのは、俺がクセを全部研究して攻略したからや。だけどあいつはそれに対抗するためにフォームを改造した。たいしたもんや」と野村監督がつぶやいた。
その後、みごとに20勝投手として返り咲き、1978年には25勝をマークする。プロとしてのハンパじゃない努力と修正能力だ。ちなみに、鈴木の25勝を最後に、25勝以上マークするピッチャーはいまだ現れていない。
プロ中のプロ、マサカリ投法の村田兆治
期待されてプロになった村田兆治は、最初はふつうのオーバースローだった。
速いだけでコントロールがなくて、デビューから3年間で11勝しか挙げていない。
それがいきなりケツをこっちに向けて投げるようになった。初めて見たとき「なんやあれ?」とみんなでバカにしていたぐらい突拍子もないフォーム、それが“マサカリ投法”だった。しかしフォームを変えてから速球にキレが出て、たしかにコントロールも安定した。
でもあのフォームは、村田の身体にだけ適した特別なもの。身体が前に突っ込むクセを修正する目的もあった。軸足に最後まで体重を残すという意味では理にかなっているが、あの体勢は相当走り込んで下半身を鍛えないとバランスが取れない。
村田の“フォームを改造しようという意志”は、プロ中のプロだと思う。同業だっただけにそのすごさがよくわかる。
フォークを投げるときのクセはすぐわかった。でも…
村田といえば、落差40センチ以上といわれたフォークボールも忘れてはいけない。
「フォークを投げるときのクセはすぐわかった。でも、予想通りフォークが来ても打てない」と、野村監督でさえ舌をまく宝刀だった。
そうはいっても、球種が読まれては打たれる確率は数段上がる。マサカリ投法にはタメのときに球種を見抜かれるという短所があった。しかし村田はそのタメを利用して握りを変える訓練をする。“敵がそうくるなら、俺はその上を行く”。これが歴代17位・通算215勝を残した男の哲学だ。
野村監督にクセを見破られ、打ち込まれた投手たち。
野村野球に対抗するために、血のにじむ努力で自分を“再生”させ這い上がり、つかみ取った大記録。まさに生きるか死ぬかの、弱肉強食の世界だ。
“野村野球に叩かれなかったら大記録は生まれなかった”とはいわないが、大記録の陰に“逆説的野村再生工場あり”とはいいたい。
<続く>