プロ野球PRESSBACK NUMBER
「騒がれ過ぎて気の毒な部分も」10代の田中将大は車内で「ワーッ!」と叫んだ…“同期ドラ1”がコーチになって気づく「将大の最上級」とは
posted2025/04/24 17:01

2007年、ルーキー時代の楽天・田中将大
text by

間淳Jun Aida
photograph by
Tamon Matsuzono
車で一緒に“通勤”…将大を気の毒に思っていた部分が
ファンにとっては愛らしい笑顔が印象的な田中将大だが、自他ともに認める極度の人見知り。ドラフト同期だった永井怜投手(現楽天二軍投手コーチ)も人当たりは柔らかいが、人見知りだという。
距離が縮まったのは、お互いがローテーションに定着してから。同じタイムスケジュールで行動するようになり、同期だった2人は自然とキャッチボールする機会も増えていった。
ともに寮生活で、田中が車の免許を持っていなかったことも過ごす時間が多くなった要因だった。永井が運転する車の助手席に田中が乗り、寮から球場まで一緒に“通勤”するのが日課となった。
ADVERTISEMENT
永井は「野球の話は、ほとんどしなかったですね。マウンドを降りたら将大は普通の10代。洋服の話をよくしていました。遠征に行った時にどこで服を買うか、どこの飲食店がおいしそうかといった話題が多かったです」と記憶をよみがえらせる。
グラウンドを離れると普通の10代。今でも覚えている場面がある。
早いイニングで崩れてしまった試合後、永井が運転する車に乗っていた田中が口を開いた。
「ちょっと叫んでも良いですか」
田中は〈ワ―ッ!〉と、言葉にならない声を発した。突然のことだったが、永井に驚きはなかった。
「周りから騒がれ過ぎて、感情を発散できる場所がない将大を気の毒に思っていた部分がありました。少しでも解消できる場所をつくりたいと心掛けていました。あいつが気付いていたかどうか分かりませんけどね。悔しがる姿はあまり見たことがなかったので印象に残っています」
永井自身も不甲斐ない投球をした日は、誰もいなくなったグラウンドでイヤホンを着けて大音量で音楽を流しながらダッシュを繰り返す時があった。ネガティブな感情を引きずっても良いことは何もない。気持ちのリセットがプロの世界で重要になると考えていた。
10試合先発したら10通りの投げ方をしていた
グラウンドを離れた田中には10代らしさが垣間見えた。ただ、ユニホームを着ると変身する。投手としての田中を知るほど、そのすごさを永井は肌で感じていた。