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「朝倉未来と私のレベルはちょっと違う」RIZIN新王者クレベル・コイケが継承した“猪木イズム”とは〈Bellator王者と年末決戦〉
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byRIZIN FF Susumu Nagao
posted2022/10/28 17:02
RIZINの新たな王者となったクレベル・コイケ(左)は、大晦日にBellatorフェザー級王者パトリシオ・ピットブルと対戦。格闘技ファン垂涎の頂上決戦だ
朝倉未来との再戦について「いま闘うのは後退かな」
ブラジルから出稼ぎのために来日した両親のあとを追うように、クレベルは14歳という多感な時期に日本にやってきた。
来日後、クレベルは地元の中学に通う同胞がいじめられているという噂を耳にして、1日も登校することなく不登校となる。年齢的にはまだ中学生の身分ながら、鶏肉を加工する工場で働いたり、自宅近くの家の犬の散歩をするアルバイトをしていたという。
ブラジルから職を求めて来日する者がいれば、その逆のパターンもある。猪木氏の場合、クレベルとほぼ同年齢といえる13歳でブラジルに渡っている。ふたりの共通項として、とても現地の学校に通えるような環境ではなかったことがあげられる。猪木氏は最初に入植したサンパウロ近郊のコーヒー農園で、過酷な労働を強いられた。すでに戦後から十数年の歳月が経っていたが、入植地ではみな生きることに必死だった。
時代こそ違えど、義務教育すら満足に受けられなかったクレベルにとって、来日直後から通うようになったボンサイ柔術が身の置きどころになっていったことは想像に難くない。学校の友達がいなければ、人間関係はおのずと道場に絞られる。コンタクト競技ならではの密なる人間関係の中で、クレベルの人格は形成され、生きる術を身につけていったのだ。
戴冠後、彼はボンサイ柔術で親身になって世話をしてくれたホベルト・サトシ・ソウザとマルコス・ヨシオ・ソウザへの感謝の言葉を述べた。
「3人でずっと一緒に頑張ってきた。ひとりだったらメチャクチャ難しかったと思うけど、3人でいたからこそ、ずっと夢があった。ずっと頑張っていける自信にもつながった。神様にありがとうと伝えました」
クレベルが新チャンピオンになると、気の早い一部のマスコミは「朝倉未来戦へ」と書き立てた。確かにそのマッチメークが最も盛り上がることは目に見えているが、クレベルの答えは意外なものだった。
「自分がチャンピオン。いま朝倉と闘うとなったらバックステップ(後退)かな。朝倉の実力はまあまあね。リスペクトはあるけど、自分のレベルとはちょっと違う。私はRIZINで6試合全部一本勝ちだ」