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「朝倉未来と私のレベルはちょっと違う」RIZIN新王者クレベル・コイケが継承した“猪木イズム”とは〈Bellator王者と年末決戦〉
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byRIZIN FF Susumu Nagao
posted2022/10/28 17:02
RIZINの新たな王者となったクレベル・コイケ(左)は、大晦日にBellatorフェザー級王者パトリシオ・ピットブルと対戦。格闘技ファン垂涎の頂上決戦だ
しかしながら水面下でクレベルとRIZINが暗闘を続けているうちに、フェザー級のチャンピオンベルトは斎藤から牛久へと移動していた。クレベルの口から出た「ちょうど1年前」はこの王座移動を指していたのだ。
クレベルの再スタートはここを起点に始まったといっていい。それから1年経ち、ようやくひとつのゴールに到達した。「1、2、3」というカウントは、決戦の3週間ほど前に亡くなったアントニオ猪木氏追悼の意味も込めてのものだろうか。
日本とブラジルというふたつの祖国を持つというところで、クレベルは猪木氏に多大なるシンパシーを抱いていた。
「令和の世代は知らないけど、昔のファイターだったら、アントニオ猪木が日本のレジェンドであることを知っている。病気が悪化して死んじゃったけど、そのことを日本だけではなく世界が寂しいと思っている。私はめっちゃリスペクトしています。猪木はブラジルから日本へ来たから、だいたい彼の気持ちはわかる」
入場ゲートに登場したとき、クレベルは日の丸とブラジル国旗の両方をデザインしたハチマキを頭に締めていた。
クレベルが持つ“類まれなハングリー精神”
「勝って人生を変える」
スポーツの世界ではよく聞く台詞である。天王山というべき試合では、なおさら人生が変わる可能性が高い。格闘技の世界においては、チャンピオンシップがこれに当たる。
勝てば天国、負ければ地獄。
ハングリーな環境に置かれた者たちは、より一層シビアな「ALL OR NOTHING」の立場に身を置く。戦後、貧しい環境から抜け出すためにボクシングの道を志し、世界チャンピオンを目指す者は後を絶たなかった。
エンターテイメントスポーツとして確立されたプロレスとて同じだ。幼少期に父が急逝し、家が傾いたため一家でブラジルに移住。その後、現地で力道山にスカウトされ日本に帰国してプロレスラーになった猪木氏もそうだろう。かつて「プロレスに市民権を」というスローガンを掲げていた猪木氏は、社会と闘い続けることで知名度を高めた。
令和になった現在も、類まれなハングリー精神を持ち合わせた者はいる。日系ブラジリアンのクレベルなど、その最たる例だろう。戴冠後のインタビューで次戦について訊かれると、ファイトマネーのアップを要求していたのもハングリーであるがゆえの発言だった。