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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「電車に一本乗り遅れた」市川大祐は“怒りのトルシエ”をどう振り向かせたのか? 日韓W杯前に決めた覚悟「絶対的な数字を残すしかない」
posted2022/09/25 17:02
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph by
JMPA
1998年のW杯フランス大会後、市川大祐は高校へ通いながらトップチームでのトレーニングを重ね、週末にはJリーグで戦う日常へ戻った。それに加えて、10月にはU-19のAFCユース選手権、12月にはU-21代表としてアジア大会と、アンダーカテゴリーの大会にも出場している。さらに12月中旬にアジア大会が終わると、清水エスパルスの一員として天皇杯に出場。1999年元日の決勝戦も戦っている。そしてナイジェリアでのワールドユース(現U-20 W杯)に出場するU-20日本代表としての合宿も1月中旬から始まった。2月にはブルキナファソ遠征にも参加している。
2002年W杯日韓大会に出場するA代表の指揮官となったのは、フランス人のフィリップ・トルシエだ。2000年のシドニー五輪を目指す五輪代表に加えて、ワールドユースに出場するU-20代表の監督も務めることになった。
「病気なんだとわかって、正直ホッとした」
アジア大会でも中心選手だった市川に、トルシエ監督はワールドユースでも大きな期待を寄せていたに違いない。市川も初めての世界大会出場への意欲は当然高まっていた。しかし、市川の日常には異変が生じていた。サッカーをしていても身体が重く、コンディションが悪い。それだけでなく、階段を登るだけでも息が切れてしまう。倦怠感がぬぐえない。にもかかわらず、夜は眠れなかった。
しまいには試合中に手足にしびれが走り、まったく力が入らない事態に陥った。それを見ていたエスパルスの指揮官スティーブ・ペリマンは、即座に精密検査を行うことを命じた。
「状態をチェックするために酸素マスクをして、ランニングマシンで走ったんです。4、5分経ったときにドクターが『もういい』とストップボタンを押して、『オーバートレーニング症候群だね』と告げられました。この症状に病名がついたというか、病気なんだとわかったとき、正直とてもホッとしたことを覚えています。ずっと身体がボロボロで原因もわからない。心の甘えなんじゃないか、俺はここまでの選手なのかと不安と失望感を抱き始めたときだったので、『オーバートレーニング症候群』という診断を受けて、あぁ良かったと思えたんです。僕のせいじゃない。病気だったんだと」