- #1
- #2
サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「電車に一本乗り遅れた」市川大祐は“怒りのトルシエ”をどう振り向かせたのか? 日韓W杯前に決めた覚悟「絶対的な数字を残すしかない」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byJMPA
posted2022/09/25 17:02
2002年日韓W杯でプレーする市川大祐。「電車に乗り遅れた」と詰るフィリップ・トルシエを振り向かせるためには、明確な結果が必要だった
「五輪のアジア予選には呼ばれましたが、本番のメンバーには入れませんでした。A代表にもなかなか呼ばれなかった。もちろん歯がゆさはありました。エスパルスでも3-5-2のワイド(アウトサイド)でプレーしていたし、『これだけ結果を残してもダメなのか。まだか、まだか』と……。『電車に一本乗り遅れた』という監督の言葉はずっと残っていたので、なら呼ばざるを得ない状況を作るしかない。絶対的な数字を残そうと決めた2001年はリーグ戦も全試合フルタイム出場して、アシスト数もトップの結果を残せました」
絶対的な結果でトルシエを振り向かせた市川は2002年1月の合宿に招集され、3月のウクライナ戦、ポーランド戦で先発。ポーランド戦では高原のゴールをアシストしている。その後もすべての合宿に参加し、見事、W杯のメンバーに選出された。
W杯チュニジア戦でアシスト、しかしトルコ戦は…
W杯日韓大会、グループリーグ第3戦のチュニジア戦。市川はスコアレスで迎えた後半から稲本に代わり出場し、75分には中田英寿のゴールを演出する見事なクロスボールをあげている。決勝トーナメント1回戦のトルコ戦でも、その攻撃力を買われ、0-1で迎えた後半に再び稲本に代わってピッチに立った。しかしスコアは動かず、指揮官は86分に森島寛晃を投入する。ピッチを出たのは市川だった。
「日韓大会は、自分の力で掴み取れたと思います。プレー面も、精神面も、すべてにおいて4年前よりも自信があった。ただ最後のトルコ戦は、途中出場、途中交代という結果。自分の目指していた場所に立てたけれど、まだまだ力が足りないということを思い知った幕切れでしたね。敗戦後、宮城のピッチを歩いているとき、『4年後はもっと成長していなくちゃいけない。成長して、この悔しさをW杯で晴らさないといけない』って思いましたね。攻撃面はアシストで良さを出せた部分もありますけど、守備やフィジカルなど、自分に足りないものをすごく感じました。それにタフさも足りない。以前から興味はあったんですけど、W杯で世界と戦ったことで、海外でプレーしたいとより強く思いましたね。海外で経験を積んで、もっともっと成長したいなって」
2002年当時、まだ22歳の市川が2006年のW杯ドイツ大会を目指すのは当然のことだった。欧州移籍も視野に入れ、新たなスタートを切った。しかし、2003年に膝を負傷。2004年は公式戦わずか4試合にしか出場できなかった。
「2003年に膝を怪我して、思うようにプレーができなくなりました。W杯のことを考える以前に、まずサッカーができていない。このままだとサッカーができなくなるな、って状態だったので……。2002年からの4年間は、苦しい時間でしたね」