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「電車に一本乗り遅れた」市川大祐は“怒りのトルシエ”をどう振り向かせたのか? 日韓W杯前に決めた覚悟「絶対的な数字を残すしかない」 

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寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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posted2022/09/25 17:02

「電車に一本乗り遅れた」市川大祐は“怒りのトルシエ”をどう振り向かせたのか? 日韓W杯前に決めた覚悟「絶対的な数字を残すしかない」<Number Web> photograph by JMPA

2002年日韓W杯でプレーする市川大祐。「電車に乗り遅れた」と詰るフィリップ・トルシエを振り向かせるためには、明確な結果が必要だった

 当時はまだ耳慣れなかった「オーバートレーニング症候群」だが、その後、さまざまな競技のアスリートが抱える症例として認識されるようになった。

「当時の自分が過ごした1年を考えたら、オーバートレーニング症候群になって当たり前だったと気づきました。学校に通いながらW杯にも行ったし、Jリーグにも出ていたし、ワールドユースのアジア予選もあったし、アジア大会もあった。天皇杯はフリューゲルスと元日に決勝もやっていましたからね。いつ休んだのかわからないくらい、身体も心も動きっぱなしでした。でも、当時はそれが当たり前だと思ってやっていたので」

 休養を欲する自身の身体と心の悲鳴を受け入れるには、この診断が不可欠だったのかもしれない。当時の市川はまだ18歳。これから先もプロサッカー選手として生きるうえで、休息しなければならない。目標だったワールドユースも断念する決意が固まった。

市川の説明に激昂したトルシエ

 しかし、それを受け入れられない男がいた。フィリップ・トルシエだ。1999年3月、ワールドユースの国内最後の合宿メンバーに市川は選ばれた。当然、市川は辞退したものの、それでも合宿地のJヴィレッジ(福島県)への招集が課された。

「Jヴィレッジまで行き、トルシエ監督に直接『オーバートレーニング症候群と診断されたので、ワールドユースには行けません』という説明をしたんです。監督は顔を真っ赤にして、突然部屋を出ていったんですよ。僕の話の途中で。静岡から5時間かけて出向いて、話は2、3分で終わりました」

 その後、トルシエ監督率いるU-20日本代表はワールドユースで見事準優勝に輝いた。自分が立っていたかもしれない舞台で勝ち上がる代表チームを見ながら、こみ上げる悔しさを「しょうがない。病気なんだから」と押しとどめる。そうして回復に努めていた市川の耳に、トルシエ監督の「市川は電車に一本乗り遅れた」という言葉が伝わってきた。

「結構なショックでしたね。僕は行かない選択をしたけれど、実際は行きたかった。その診断と選択のおかげでサッカーが続けられたし、良かったと思っています。でも、当時は傷口をえぐられた感じですね。自分がその場に居られない悔しさは、決して小さくはなかったので……」

 小野伸二、稲本潤一、高原直泰……。ワールドユースで準優勝した面々は“ゴールデンエイジ”と呼ばれ、その後もシドニー五輪やトルシエ監督率いるA代表で躍動し、欧州移籍を遂げるまでに成長していく。しかし、1980年生まれの市川にそのチャンスは巡ってこなかった。

【次ページ】 W杯チュニジア戦でアシスト、しかしトルコ戦は…

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