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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「電車に一本乗り遅れた」市川大祐は“怒りのトルシエ”をどう振り向かせたのか? 日韓W杯前に決めた覚悟「絶対的な数字を残すしかない」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byJMPA
posted2022/09/25 17:02
2002年日韓W杯でプレーする市川大祐。「電車に乗り遅れた」と詰るフィリップ・トルシエを振り向かせるためには、明確な結果が必要だった
怪我をして変わった自分も受け入れて
決して全快したわけではない膝と付き合いながら、市川は2005年には公式戦44試合に出場している。復調に至った裏側には、明確な思考の変化があったという。
「2005年、監督が(長谷川)健太さんに代わりました。まだ万全とはいえない状態だったので、この年もダメだったら、サッカーを辞めようと思っていたんです。こんな状態でやれるほどプロの世界は甘くはないから。そういう意味で腹を括れたシーズンでした。もちろん、だからといって辞めたいわけじゃない。ならばどうすべきかと、自分自身をもう一度見つめ直すところから始めました」
負傷によって、負傷前と同じようにプレーできなくなる選手は少なくない。かつてのイメージでプレーをしようと思っても、身体が動かないのだ。『なぜできないんだ』ともがくことで身体のバランスが崩れ、新たな箇所に違和感が生じ、負傷を繰り返すケースも多い。過度なフィジカルトレーニングで負荷がかかることもあるだろう。
繰り返す負傷に落胆し、掲げた目標にたどり着けない焦りがさらに自身を苦しめる。文字通りの悪循環に陥るのは、自身を叱咤激励し続けてきたアスリートだからこそ、なのかもしれない。しかし、できない自分は「弱くなった」のではなく、ただ「変わった」のだと受け入れる勇気を市川は手にした。
「『以前はできていたことができない』というギャップが大きくて、とても苦しかったし、葛藤が続きました。でもそんななかで、過去を求めず、今、できることを確実に重ねていく……という作業の喜びを見つけられたというのは非常に大きかったと思います。現状を受け入れ、受け止めながら、前へ進もうとする。今までと同じ道を歩こうとしても、違う自分なんですよ、身体が違うから。だから同じ道は辿れない。それに気づいたとき、進むのを止めようじゃなくて、違う道を探しながら目指す場所へ向かっていくことができたのは、自分の人生のなかでもすごく大きな経験になっています」
海外へ移籍して、成長しようと夢見た。怪我によってそれは叶わない。けれど、成長すること自体はできる。否応なく変わってしまった自分が、それでも進める道を探せばよいのだ。
もし、この気づきがなければ、潰れていたと市川は言う。