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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「なんで僕が代表に?」17歳でAマッチデビュー…“日本一忙しい高校生”市川大祐がフランスW杯落選を告げられた日「岡田さんは結論だけを…」
posted2022/09/25 17:01
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph by
JFA/AFLO
「市川、崔龍洙(チェ・ヨンス)を止めるんだってな」
1998年3月30日、日本代表の集合場所のホテルへと足を踏み入れた17歳の市川大祐に、そう声をかけてきたのが秋田豊だった。
その前々日の28日、鹿島アントラーズとの試合後、新聞記者に囲まれ、韓国代表のエースストライカー対策について問われた市川の発言が「崔龍洙対策」として記事になり、秋田もそれを目にしたのだろう。
日本代表の不動のセンターバックの言葉に「そんなことは言ってないですよ」と返すのが精いっぱいだったが、秋田の眼の優しさに市川の心は緩んだ。
高校2年生でトップ昇格、駆け足で日本代表に
1998年4月1日にソウルで開催される韓国戦のメンバーには、W杯予選を戦った川口能活(22歳)や楢崎正剛(21歳)、城彰二(22歳)、中田英寿(21歳)以外にも柳沢敦(20歳)、中村俊輔(19歳)、小野伸二(18歳)といった若手が招集されたが、もっとも目を引いたのは17歳の市川の名前だった。同年、清水エスパルスでJリーグデビューを飾っていたものの、まだ高校2年生から3年生に進級する直前。もし出場すれば日本の国際Aマッチ最年少出場記録となる。
静岡県清水市に生まれた市川は、1993年に清水エスパルスのジュニアユースに加入した。高校進学と同時にユースに昇格したが、当時はまだ多くのサッカー少年にとっての夢は高校選手権の舞台だった。
「僕はエスパルスのジュニアユースの一期生。3年間プレーして、ユースに昇格できるメンバーのうち、半分くらいの選手は高校サッカーへ行きました。清水という土地柄もあり、地元の高校が選手権で優勝するのを何度も見てきているので、そこへの憧れは僕自身にもありました。でも、僕の夢はプロでプレーすることだった。ユースに上がって力をつければ、年齢に関係なくトップの試合に出られる。そう考えてユースを選択しました」
当時のJリーグにはサテライトリーグがあり、トップチームの若手だけでなく、ユースチームの選手にも出場のチャンスがあった。
「僕が高校2年になったとき(1997年)には、ひとつ上の稲本(潤一)さんや酒井(友之)さんがすでにJリーグでプレーしていたので、刺激になりましたね。すごいなというよりも、『負けていられない。次は俺の番だ』とエネルギーにしていました」