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テニス界の異端児・コナーズが70歳に マッケンロー「僕たちはお互いが嫌いだった。でも…」全米5回優勝の“ショーマン”が見せ続けた闘志の意味 

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山口奈緒美

山口奈緒美Naomi Yamaguchi

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photograph byGetty Images

posted2022/09/02 11:00

テニス界の異端児・コナーズが70歳に マッケンロー「僕たちはお互いが嫌いだった。でも…」全米5回優勝の“ショーマン”が見せ続けた闘志の意味<Number Web> photograph by Getty Images

1999年、ロンドンで行われたATPシニア「ホンダチャレンジ」でのコナーズ(左)とマッケンローの貴重なツーショット

 一言で表すなら、テニス界の異端児。ウッドラケットが主流だった70年代前半に、スチール製のラケットを振り回してトップに君臨し、両手打ちのバックハンドも当時は珍しかった。女子テニスのアイドル、クリス・エバートとの若いロマンスと破局でも世間を騒がせた。

「キミ速いね」「ユー・トゥー」

 日本のツアープロ第一号の神和住純氏は1973年、オハイオ州のコロンバスで5歳下のコナーズと対戦したときのことをよく覚えているという。全豪オープンの優勝は翌年になるが、20歳の若者はすでにツアーでは出る大会、出る大会で優勝しまくっていた。

「足がすごく速くてね、思わず『キミ速いね』と声をかけたら『ユー・トゥー』なんて言ってくれましたよ(笑)。スチールのラケットは馬力があって、彼はそのフレームに鉛をつけていました。ヘッドを安定させるためだったんじゃないかなと思います。あの時代はウッドからスチール、アルミ、カーボンと、各メーカーがいろいろな素材のラケットを出し始めていて、コナーズはそういう時代の先を行く感じでした」

スタンドと一体となれるショーマン

 神和住氏のように対戦したことはないが、一番好きな選手だったと振り返るのは、主に80年代に日本のトップを守っていた福井烈氏だ。

「どんなときでもお客さんを楽しませるプロフェッショナルな精神を尊敬していました。彼の功績はテニスを“大衆化”したことだと思います。僕はこういう言い方があまり好きではないのですが、それまでは上流階級、富裕層のスポーツというイメージでした。コナーズは人間味を隠さず、スタンドと一体となれるショーマンでしたね」

【次ページ】 テニスは鑑賞から踊る時代へ。その顔がまさに彼だった

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