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テニス界の異端児・コナーズが70歳に マッケンロー「僕たちはお互いが嫌いだった。でも…」全米5回優勝の“ショーマン”が見せ続けた闘志の意味
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byGetty Images
posted2022/09/02 11:00
1999年、ロンドンで行われたATPシニア「ホンダチャレンジ」でのコナーズ(左)とマッケンローの貴重なツーショット
「正直言って大会中はそれどころじゃないから、誕生日なんて意識したことはなかった。僕にとっては、ファンがこうやって来てくれて楽しんでくれることが最大のパーティーだしね。僕が感じることをファンも感じ、叫び、いっしょになって戦ってくれる。今夜も最高のパーティーだったよ。この雰囲気の中で、いいテニスができないわけがない」
芝、クレー、ハードの全米を制した唯一の王者
コナーズがそれまで獲得した8個のグランドスラム・タイトルのうち5つは全米オープンだ。それはジョン・マッケンローの4つを上回る数で、のちの王者ピート・サンプラスとロジャー・フェデラーに並ばれはしたが、抜かれはしなかった。また、コナーズしか持っていない記録もある。今でこそハードコートの最高峰として認識されている全米オープンだが、芝、クレー、ハードと3つのサーフェスの変遷を持ち、コナーズはその3つの異なるサーフェス全てを制した唯一のプレーヤーなのだ。
全米オープン・デビューはプロの出場が解禁されてから3年目にあたる1970年で、当時の会場は今と同じクイーンズ地区内のフォレストヒルズにあるウェストサイド・テニスクラブの芝のコートだった。そこで74年、22歳のときに当時39歳のケン・ローズウォールを破って初優勝した。
翌年から3年間は同じテニスクラブの中のクレーコートで開催され、3年とも決勝に進出。うち76年は決勝で当時19歳のビヨン・ボルグを破って優勝した。
そして現在のフラッシングメドウのハードコートに移った初年、再びボルグを破って頂点に立ち、82年、83年と連覇した。
利き腕の左手首の故障で1990年に初めて欠場し、連続出場は20回で途切れたが、翌年39歳にして復活。990位というどん底から這い上がり、ワイルドカードで出場した全米オープンで奇跡のベスト4入りを遂げた。
NYに愛され、クリス・エバートとはロマンスも…
その熱狂の渦が、次の年のバースデー・パーティーへとつながるムードを作ったのだろう。数々のアメリカのチャンピオンの中でも、コナーズはニューヨークが特に愛した王者だった。