テニスPRESSBACK NUMBER
テニス界の異端児・コナーズが70歳に マッケンロー「僕たちはお互いが嫌いだった。でも…」全米5回優勝の“ショーマン”が見せ続けた闘志の意味
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byGetty Images
posted2022/09/02 11:00
1999年、ロンドンで行われたATPシニア「ホンダチャレンジ」でのコナーズ(左)とマッケンローの貴重なツーショット
テニスは鑑賞から踊る時代へ。その顔がまさに彼だった
剥き出しの闘志は、対戦相手のみならず、ときに審判にも向かい、ファンの感情も揺さぶった。70年代は、テニスがクラシック音楽からロックンロールへと変貌した時代ともたとえられる。鑑賞する時代から、演者とともに歌い、踊る時代へ。その顔となったのがまさにコナーズだ。 古い世代は眉をひそめただろう。しかし時代の変化は、年下のマッケンローやボルグといったスターたちの出現もあって加速し、ドラマチックなライバル争いによってファンを強烈に惹きつけた。マッケンローはのちにこう語っている。
「僕たちはお互いのことが好きじゃなかった。彼は最初から僕を寄せつけなかったから、言葉をかわすこともなかったよ。まったく嫌なヤツだった。向こうもそう思っていたけどね。僕たちはよく似ていた。すぐにカッとなるし、言葉や態度に出てしまう。もし立場が逆で、僕が世界1位とか2位のときにあの頃の僕のような18歳の若造が出てきたら、きっと同じような態度をとるだろう」
あれほど全力で向かう選手を僕はほかに知らない
7歳下のマッケンローとのライバル関係は、のちにロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルのライバル関係が称賛されるときによく引き合いに出されたものだ。コナーズとマッケンローのようにお互いを嫌い、ののしり合い、憎み合う敵対関係ではなく、リスペクトし合い、高め合う美しい関係だと。しかしマッケンローにも多少の反論がある。
「確かに僕たちはお互いが嫌いだった。でも誤解しないでほしい。僕はいつだってジミー・コナーズをリスペクトしていた。あれほど全てのショットに対して全力で向かう選手を僕はほかに知らなかった。ナダルが現れるまではね。ナダルにすら引けをとらないファイティング・スピリットだった」
そのスピリットで戦い続けたコナーズは、あのバースデーの2日後、当時32歳の元王者イワン・レンドルに敗れた。ちなみにレンドルとの対戦成績は通算13勝22敗だが、8年以上負け続けて連敗は17。それがコナーズにとっての最後の全米オープン、最後のグランドスラムとなった。その後43歳まで現役を続けたコナーズは今日70歳になり、今もニューヨークはロックなテニスで連日熱い。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。