ワインとシエスタとフットボールとBACK NUMBER
《献身と感謝》「戻りたかったけどイヴァンに日本は遠すぎました…」オシムを58年間支え続けたアシマ夫人から、日本へのメッセージ
posted2022/05/14 17:03
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph by
aflo
5月1日にイビチャ・オシムが亡くなってから14日が過ぎた。その間、アシマ夫人とは都合3度電話で話をした。最初は亡くなった翌日の2日、次が4日、3度目が10日である。
翌日の電話では、夫人はフランス語で話すことができなかった。気持ちがいっぱいでその余裕がない。私が指摘すると、承知のうえでドイツ語で話しているといい、会話が通じるようになったのはそれからしばらくたった後だった。
ただ、2日もまた4日の電話も、短い会話で終わった。家に人の出入りが頻繁で、夫人もさまざまな対応に追われて話をする余裕がない。特に4日は、シュトゥルム・グラーツ主催による追悼セレモニーがメルクール・アレーナ(シュトゥルムのホームスタジアム)でおこなわれる直前であり、ほとんど話ができなかった。それでも彼女は、最後にこう言って電話を切った。
「皆さんによろしくお伝えください。日本からは心に響くメッセージをたくさんの方からいただきましたから。誰もが心から悲しみ、イヴァンを愛していました。イヴァンを思ってくださったすべての日本の方々に、心から感謝します。ジェフや日本協会、サッカーにかかわり、サッカーを愛するすべての方々に。彼らが私たちに贈ってくれたメッセージを私たちは忘れません」
ようやく落ち着いて話せたのが、10日になってからだった(その前にも1度電話したが、夫人は不在で長女のイルマが対応した)。夫人からはメッセージを託された。オシムがジェフユナイテッド市原(当時)の監督に就任して来日したときから今日までの心遣いと、オシム逝去の際に寄せられたメッセージや日本で行われた追悼のイベントに、家族ともども心から感謝していると。
ここにそのときの会話の要旨を再現し、読者のみなさんにアシマ夫人と家族の思いを伝えたい。
彼は心から愛されていた
――その後、少しは落ち着きましたか?
「どうでしょうか。悲しみが癒されることはありません。何かをしているときはいいのですが、ふと休んだときなどには深い悲しみにおそわれます。そんな状態がずっと続いています」
――それはそうだと思います。
「イヴァンが亡くなったのがまだ信じられない気持ちもあります。でも、現実に向かい合うしかない。私だけではなく、家族もそう思っています」
――日本も深い悲しみに覆われています。
「たくさんの方からメッセージをもらいました。皆さんがイヴァンのことを本当に思ってくれて、彼への哀悼が伝わってくるものばかりです。本当に感謝しています」
――シュトゥルム・グラーツの追悼セレモニーはどうでしたか?