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《献身と感謝》「戻りたかったけどイヴァンに日本は遠すぎました…」オシムを58年間支え続けたアシマ夫人から、日本へのメッセージ
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byaflo
posted2022/05/14 17:03
2014年9月、UEFA U-21欧州選手権予選のオーストリア対ボスニア・ヘルツェゴビナ戦会場に現れたオシム夫妻
「あなた(筆者)とは家族同様の付き合いをしてきました。これからも変わらないでしょう。あなたはずっと私たちの子供でした。それは選手も同じです。彼らが私たちのためにいろいろしてくれたすべてのことに感謝を捧げたいです。常にボンジュールとかメルシーと言葉をかけて、イヴァンのことを思ってくれました。あなたのように電話をくれて、彼の健康を気遣ってくれました。とても素晴らしいことだと思います」
――そのことはあなたとあなたの家族に代わって私が書きます。
「ありがとうございます、田村さん。でもそれが真実でもあります。私が真実というのは、私たちに対して気遣ってくれた人たちは、みな素晴らしい人々だったということです。イヴァンも常に彼らのことを考えていました。私たち家族もそうです。他方で私たちの反対側には常にイヴァンを思い気遣う人たちがいた。彼は今どうしているのか。元気でいるのだろうかと」
長い旅行には耐えられなかった…
――誰もがイヴァンに日本に戻ってほしいと思っていました。
「それは私たちも同じでした。彼の健康状態が良くて、誰かがエアチケットを送ってくれたら、日本にもう一度行くことができるのにと。彼とはそんなことをよく話していました。ただイヴァンには難しかった。日本は遠すぎました。長い旅行には、彼の心臓が耐えられなかったでしょう。身体もきつかった」
――私も彼ともう一度直接話したかったです。ずっと会っていなくて、最後に会ったのは6年前でした。その後は電話で話すばかりで……。
「彼はあなたをよくからかっていましたね。今日は何を食べたのかとあなたに聞いては、会話を楽しんでいました。まるで自分の子供に話しかけているようでした。『元気にしていたのか? いったい何を食べているのか?』と(笑)。『もっとちゃんと食べないとダメだ』といって、まるで子供に諭しているようでした。それがイヴァンでした。
悲しみはつきませんが、誰もが家族のようであり子供であり友人でした。あなたがそうであるように。彼は常に誰かに何か素晴らしいものを与えていました。それが自らの役割であるかのように感じてもいました。スタジアムでもそうです。イヴァンの語ったすべての言葉が、あらゆるところに書かれています。誰もがイヴァンを偉大な哲学者と言っています」