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箱根駅伝、青学大・明大との“差”に苦しみ…中央大1年生キャプテンが泣いた“どん底の日”、名門が10年ぶり「シード権」で復活するまで
posted2022/01/09 17:03
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Yuki Suenaga
中大 is Baaaaack!!
中央大学が定位置である「シード権」に帰ってきた。
実に、2012年以来10年ぶりというのだから、ずいぶんと長い低迷だった。10年前は東洋大の柏原竜二が「山の神」として最後の大会を迎えて優勝、青山学院大はまだ優勝していない。
時代は変わったが、苦闘の末、総合優勝最多14回を誇る中大はようやくエリート校に戻ってきた。
「青山学院」「明治」との差
そもそも、なぜ中大は低迷してしまったのか?
不運もあった。2013年の大会では過酷な気象条件のもとで5区の選手が途中棄権。そこから「負の連鎖」が始まる。この時期にはリクルーティングで後手に回り始めたのだが、ライバル校は「MARCH」の「M」と「A」だった。
明治は2009年に久しぶりにシード権を獲得し、2012年には3位にまで浮上した。
青山学院は2010年に41年ぶりにシード権を獲得し、2015年に初優勝を遂げる。
10年ほど前から両校は勢いに乗り始め、有望な高校生たちは青山学院、明治、中央、そして早稲田を並列に検討し始めた(この流れは未だに続いている)。
その流れのなかで、中大はシード権を逃し、低迷期に入る。当時の箱根駅伝の成績はこうだ。
2012年 8位
2013年 途中棄権
2014年 15位
2015年 19位
2016年 15位
1年生キャプテンの涙…どん底の6年前
名門の危機であり、ここで中大はHondaではマラソンの日本代表として活躍し、競技生活から引退したばかりの藤原正和氏を監督として招聘することにした。
藤原監督は、いきなり「劇薬」を投入する。1年生の舟津彰馬(現・九電工)をキャプテンに指名したのである。新監督の立て直しへの思いは強かったが、いかんせん、戦力が整っていなかった。