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箱根駅伝、青学大・明大との“差”に苦しみ…中央大1年生キャプテンが泣いた“どん底の日”、名門が10年ぶり「シード権」で復活するまで
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byYuki Suenaga
posted2022/01/09 17:03
10区を走った中大主将・井上大輝(4年)。総合6位でゴールテープを切り、10年ぶりのシード権を獲得した
「1区は吉居しかないでしょう(笑)。これは書いてもらって構いません。シード権を狙ううえで、吉居がある程度ハイスピードのレースに持ち込み、ライバル校を振り落としていくイメージです」
ところが、吉居は監督の想像を超えた。5km過ぎで集団から飛び出し、そのまま置き去りにして、1時間00分40秒の区間新記録を樹立した。藤原監督もうれしいやら、びっくりするやらの表情。
「ある程度、行くとは思ってましたよ。でも、まさかあそこで逃げて、そのまま押し切ってしまうとは想像していませんでした」
「手島には汚れ役を引き受けてもらいました」
そして吉居の快走を無駄にしなかったのが、4年生だった。
藤原監督は、全日本大学駅伝のアンカーでシード権を決めたヒーロー、手島を2区に持ってきた。藤原監督は言う。
「言葉は悪いですが……手島には汚れ役を引き受けてもらいました。吉居は区間上位で来ます。そうすると、2区では後ろから留学生がやってきます。いまのウチにとっては、2区は耐えどころなんです。その役割を担ってくれるのは、手島しかいないと思いました」
手島は区間15位で、総合でも11位へと後退した。しかし、この役割を重々承知していた。
「こうなることは覚悟していました。抜かれても、たすきを同級生の(三浦)拓朗につなぐことだけを考えていました。見栄えは悪かったかもしれませんが、自分としてはいい走りが出来たと思います」
手島は箱根駅伝が競技者としては最後のレース。力を出し切った。
10区・井上(4年)「99パーセント苦しいことばかり」
そして3区を担当した三浦は、藤原監督の母校、西脇工業の後輩である。
1年生の時は箱根駅伝前日に発熱、4年生になって予選会ではどういうわけかチーム内11位(本人曰く「せんべいダイエットの失敗のため」)。山あり谷ありの競技生活だったが、最後の大仕事をした。藤原監督はイメージ通りの仕事を三浦がしてくれたと話す。
「手島が粘ってくれたら、そのあとは拓朗が攻めに入ってくれると信じていました。プラン通り、11位から7位へと番手を上げてくれて、いい流れに持ってきてくれたと思います」
その後、藤原監督は5区、6区の特殊区間には自信を持っており、7区で凹みはあったものの、8区の中澤雄大(学法石川)が3位に順位を上げると、10年ぶりのシードは確実となった。
10区、アンカーは主将の井上が起用された。駅伝は初出場、しかも元日の最終刺激での動きを見て起用が決まった。