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箱根駅伝、青学大・明大との“差”に苦しみ…中央大1年生キャプテンが泣いた“どん底の日”、名門が10年ぶり「シード権」で復活するまで
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byYuki Suenaga
posted2022/01/09 17:03
10区を走った中大主将・井上大輝(4年)。総合6位でゴールテープを切り、10年ぶりのシード権を獲得した
この年は1区で中山顕(現・Honda)が区間2位、2区では堀尾謙介(現・トヨタ自動車)が区間5位でまとめ、2区終了時点では総合3位だった。しかし、5区で区間20位と落ち込み、そこから挽回できなかった。
そして前回の2021年は、1区から後手を踏み、まさかの往路19位。復路記録だけなら3位だったが、総合12位まで盛り返すのが精いっぱいだった。しかし、復路の強いチームというのは、中間層がレベルアップしていることを示す。
実際、2021年の秋に手島に取材すると、
「いまのBチームのメンバーは、僕らが入学した時のAチームのメニューをこなしています。チーム全体でいったら、だいぶ底上げが出来ているのは間違いないです」
と話してくれた。
おそらく、2020年頃までは、藤原監督も歯がゆい思いをしていたはずだ。学生たちに対し、自分の熱意に匹敵するものを求めていたはずだ。その熱量の乖離が、中大の解決すべき課題だった。
そのラストピースを埋めたのが、2020年入学の吉居大和(仙台育英)だった。
中大史上、リクルーティングのビッグヒットである吉居は、世代トップ級の選手が「中大なら、強くなれると思って」と積極的に中大を選んだ久しぶりの選手だった。
1年前の吉居は区間15位だった
視線は世界へ向いている。
当然、競技への意識も高く、その思いは部内に伝播する。実際、1年時はトラックの記録を次々と塗り替えていき、部内の熱量も自然に上がっていった。
前回の箱根駅伝でも吉居には期待がかかった。日本選手権の5000mでは堂々の3位。が、コロナ禍の影響で日本選手権が箱根駅伝1カ月前だったこともあり、そこからコンディション不良に陥った。その時のことを吉居はこう振り返る。
「自分には、体調が悪くなった時のサインがいくつかあるんですが、それが一気に出てしまった感じで。日本選手権以降、ポイント練習でまともに走れたのは、それこそ箱根本番前の刺激練習だけでした」
体調がすぐれないままの箱根はつらい。吉居は3区を走ったが区間15位で、チームを浮上させられなかった。
「後半の方は、シューズが地面をこするような感じになってしまい、転びそうになってしまいました」
2021年に入り、吉居は東京オリンピックの出場を狙っていたが、夏場からは駅伝仕様に練習をシフト。ハーフマラソンの距離を走れる練習をしっかりと積んできた。
それが、今回の1区の快走につながる。
藤原監督は11月の取材の時点で、こう話していた。