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「批判ではなくて、Jリーグの特徴が…」「人が良すぎる」酒井高徳や三都主らが指摘した“日本サッカーと世界の差”をどう詰めるか
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photograph byHiroaki Sawada/JMPA/Getty Images
posted2022/01/03 06:01
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三都主アレサンドロや酒井高徳らの提言を日本サッカー全体でどう共有していくか
日本は良くも悪くもゲームモデルを変えることはない
<名言2>
日本は良くも悪くもゲームモデルを変えることはないだろうと。
(西村亮太/NumberWeb 2021年10月6日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/850055
◇解説◇
2021年、日本サッカーが世界との距離を痛感させられた大会は東京五輪だった。
メダル獲得を目指したU-24日本代表のグループステージは南アフリカ、メキシコ、フランスと難敵がそろう組み合わせになった。それでも久保建英の3試合連続ゴールなど攻守ともに躍動し、首位での突破を果たした。準々決勝ではニュージーランドとのタフマッチを120分間戦った末、PK戦でGK谷晃生のビッグセーブで勝利を手繰りよせた。
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準決勝のスペイン戦、日本はペドリやスピメンディ、オヤルサバルら擁するスペインにポゼッションを握られる展開となった。それでも吉田麻也と板倉滉を中心にした4バックや遠藤航と田中碧のダブルボランチ、前線も規律を持った守備で応戦。時にカウンターでゴールに迫る場面もあった。しかし延長後半、最後は途中出場のマルコ・アセンシオが見せた個の力に沈み、悲願の金メダルへの道は潰えた。
せめて銅メダルを――その気持ちで臨んだ3位決定戦で立ちはだかったのは、グループステージ(GL)では勝利したメキシコ代表だった。中2日が連続した超ハードスケジュールの中で、日本の主力メンバーの足は止まっていた。それを見逃さなかったメキシコは13分、22分と立て続けにゴールを奪って優位に立つと、58分には決定的な3点目を奪う。日本も78分に途中出場の三笘薫が一矢を報いたが、反撃はここまでだった。
日本をきっちりと分析し、銅メダルを手にしたメキシコ。そのチームで分析を任されたのは、日本人の西村亮太コーチである。GLで日本と同組になったこともあり、西村は大会前に計4試合の分析を進め、3位決定戦前にはメキシコが敗戦したGLを含む3試合をチェックしていたという。
西村はフォーメーションについて《3-4-2-1》で来る方が嫌だったなど、準備のプロセスを包み隠さず語ってくれたが……それ以上にサッカーファンに突き刺さるのは、戦術の噛み合わせ以上に、試合中に選手たちが見せた柔軟性についてだろう。このようにも話している。
「たぶんメキシコの選手って、日本の選手みたいに“しっかりとした環境”で育てられていないんです。つまり、彼らは子どもの頃からピッチの中で、自分で生き残る方法を考えて問題を解決しながらトップまでたどり着いている。そうした経験がベースにあるので、枠組みを少し与えてあげるだけで、彼らの良さが勝手に引き出されていく」
なお西村は「一人ひとりの能力を足していって平均を作ったら、日本のほうが上」とも評している。個の力をどう結合してチーム力に落とし込むか。東京五輪の4位はその課題を突き付けたと言える。
三都主が「人が良すぎる」と語った問題
<名言3>
多くのJクラブが日本代表や年齢別日本代表クラスの国内トップ選手を無償で外国のクラブへ差し出している。人が良すぎる。
(三都主アレサンドロ/NumberWeb 2021年11月24日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/850795
◇解説◇
日本サッカーが学ぶべき点は、ピッチ内だけではない。チーム運営・強化といった面もである。それを選手育成、そして売却するという立場から語るのは三都主だ。
ジーコ、オシムジャパン時代に左サイドを任され続けた男は引退後、日本サッカー協会の指導者B級ライセンスを取得後、ブラジルへと戻って『三都主サッカーアカデミー』という選手育成クラブを立ち上げた。