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「人が良すぎる。南米や欧州では絶対にやらない」交渉とは 三都主44歳が日本サッカーに苦言《ブラジルで今何してる?》
posted2021/11/24 17:03
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Santos Soccer Academy
16歳で日本へ渡り、「プロになる」という夢を叶えた。日本国籍を取得し、ワールドカップに2度出場。日本代表では82試合に出場し、7得点をあげた。
日本の教育を受けたことにとても感謝している
――2015年初めにブラジルへ戻ってから現役を引退するまでを、簡単に説明してください。
「日本で作った家族を連れて、僕の生まれ故郷で両親が住むマリンガへ戻った。ブラジルのプロクラブの公式戦に出場したことがなかったので、自分のプレーを両親や友人に見てもらいたいと思い、まずマリンガFC、そして自分と父親の出身クラブであるグレミオ・マリンガでプレーした。
2016年には、同じパラナ州に本拠を置くPSTCという日系のクラブ(注:オーナーが日系3世)に在籍し、年末に引退した」
――もし日本へ行ってなかったら、自分はどうなっていたと思いますか?
「さあねえ、どうなっていたんだろうな。プロになれていたかもしれないし、なれないで別の職業に就いていたかもしれない」
――人間的にはどうでしょう?
「日本の高校へ行って、日本のきちんとした教育を受けたことにとても感謝している。礼儀、他人を敬うこと、正直かつ誠実に行動することを叩き込まれた。これらは、人間として非常に重要なことだからね」
ブラジルで選手育成クラブを立ち上げた
――引退後の第二の人生については、どう考えていたのですか?
「監督になる可能性を考え、日本サッカー協会のC級とB級のライセンスを取得した。
でも、神様のお陰で日本へ行けて、日本の高校で勉強し、フットボールで身を立てることができた。これらのことすべてに深く感謝して神様に、そしてフットボールに恩返しをしたいと思った。自分のこれまでの経験を子供たちに伝えたいと考え、2016年末、マリンガに選手育成クラブ『三都主サッカーアカデミー』(注:ブラジルでの名称は『アレックス・サントス財団』)を立ち上げた」
――アカデミーのこれまでの道のりを教えてください。
「2017年、U-15のカテゴリーで、生徒16人で始めた。その後、次第にカテゴリーを増やし、現在はU-6からU-19まで300人を超える選手がいる。
日本のアルコ(注:愛知県小牧市に本拠を置く人材派遣会社)がアカデミーのスポンサーになってくれ、その後、この会社がブラジルに設立したアルコ・スポーツ・ブラジル(略称ASB)がプロクラブを立ち上げた。アカデミーは、ASBの下部組織の役割を果たしており、僕はASBのCEOも務めている」
――ASBの現状は?