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恩師・両角速監督が“これからの大迫傑”にかける期待「指導者としても別次元に」 先輩・佐藤悠基は「僕を見てほしい(笑)」

posted2021/10/17 06:01

 
恩師・両角速監督が“これからの大迫傑”にかける期待「指導者としても別次元に」 先輩・佐藤悠基は「僕を見てほしい(笑)」<Number Web> photograph by Getty Images

東京五輪男子マラソンで6位入賞を果たし、思わず感極まる大迫傑。ラストレース後には「次の世代」への期待も口にした

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東京オリンピックを最後に、惜しまれつつ現役を引退した大迫傑。彼がオリンピック直前につけていた日誌『決戦前のランニングノート』が話題だ。日誌をつける習慣は、佐久長聖高校時代、当時の両角速監督(現在、東海大学陸上競技部中長距離駅伝監督)からの教えによるもの。大迫の引退に寄せて、恩師の両角氏と、高校の先輩にあたる佐藤悠基選手(SGホールディングス)、ナンバー編集部の涌井健策が座談会を行った。(全2回の2回目/#1はこちら)

――おふたりは「大迫傑の練習内容」をどう見ましたか?

両角 ある程度わかっていましたが、世界一を目指している練習内容なんだろうなと思いました。この本に載っているメニューが、コーチに与えられたものなのか自発的なものなのかはわからないのですが、これだけやれるようになったのは、本当に成長したなと思う部分です。高校時代はこんなにできるわけがないですからね、当たり前ですけど。高校時代は他の部員とも同じ練習内容なので、彼には物足りなかった。同じ1000m×5本でも、目一杯負荷を高めてやってみようと取り組んでいましたね。

 一つ上の学年に村澤明伸(SGホールディングス)がいました。大迫は村澤の影響をすごく受けたと思います。私の記憶では、1、2年の2年間は村澤には勝てなかったので、常に村澤に挑戦することが自分を強くしていくことだ、とストレートに思っていたはずです。朝練習から村澤に挑戦していましたから。本に書かれている「単純に負けたくない」というひたむきな姿は、村澤を追いかけていた当時の姿と非常に重なりました。

 似たケースでいうと、佐藤悠基が上野裕一郎(立教大学男子駅伝監督)を追いかけていた姿もありました。佐藤の成長も上野なしでは語れないと思いますし、逆に上野も、佐藤がいたからああいう風になれたというのもあります。

佐藤 僕の場合は上野さんというひとつ上の先輩がいて、身近にライバルというか勝ちたい相手がいましたし、ケニア人の選手もいて、そこに挑戦していくのは当たり前だと思ってずっとやっていました。そういう環境があったからこそ今があるのかなと思うので、すごく恵まれていたなと思います。負けたくないなというか、チャレンジしていく気持ちがあった。ほとんどコテンパンにされていましたが(笑)。

 大迫選手の練習メニューは、驚くような内容というよりはむしろシンプルなトレーニングなんですけど、「当たり前」のレベルが非常に高いんです。そこが他の選手と違うのかなと思いました。

 細かい設定タイムは載っていないんですけど、彼から聞くと、僕らと同じ本数でも設定タイムが高い、質が高い。彼はそれが当たり前だと思ってやっている。その意識の差かなと思います。彼が目指していたのは世界と勝負するというところですから、当たり前の基準を世界基準にしている。アメリカのオレゴンに行って世界のトップ選手と走りたいというのも、「世界基準で勝負する」という意識がベースになっているんだと思います。

【次ページ】 大迫は「ノイズ」が嫌でケニアに行ったわけではない

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