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堀米雄斗は22歳で「年収億単位&ロスに豪邸」…スケボーはなぜ“食えるスポーツ”になったのか?〈10億ドル産業〉
posted2021/08/05 11:03
text by
梶谷雅文Masafumi Kajitani
photograph by
Getty Images
7月25日、有明アーバンスポーツパークに日の丸の旗が高々と掲げられた。その光景を表彰台から見つめるのは、五輪新競技のスケートボード男子ストリートで金メダルを獲得した堀米雄斗。この偉業をきっかけに日本でスケートボードの認知度が瞬く間に高まり、堀米に世間の注目が集まった。彼が地上波、ネットニュースやソーシャルメディアを賑わしたのはご存知の通り。「22歳にして年収は億単位」「移住したロサンゼルスに1億円の豪邸」など、さまざまな噂が巷を騒がしている。
「所詮、子どもの遊び」と見なされてきたスケートボード。現在、世界的に10億ドル産業と言われている。ではなぜ、このような大金を稼げるようになったのだろう。急成長を遂げたその背景を探るには、海を越え、スケートボード発祥の地であるアメリカ西海岸に目を向ける必要がある。
最初は「アウトサイダーの駆け込み寺」だった
そもそも70年代から90年代半ば頃まで、アメリカの一般大衆にも、スケートボードは受け入れられてはいなかった。どちらかと言えば、社会の型にはめられたくないアウトサイダーの駆け込み寺のような存在で、社会に適応できない、または迎合しようとしない者たちの居場所だった。ただ、そうした閉ざされたコミュニティの中で独自の言語、音楽、ファッションなどが“カルチャー”として成熟していった。
それでもシーンの規模自体は今日と比べ物にならないほど小さなもので、プロスケーターになっても裕福な生活が約束されているような世界ではない。当時は家賃を払うのがやっとというプロも少なくなかった。
金銭的な意味合いにおいて、最初の転機が訪れたのは1995年。スポーツ専門チャンネルESPN主催のメガイベントX Gamesが開催され、テレビを通して競技としてのスケートボードがお茶の間に届けられたのだ。スケートボードが俗に言う「エクストリームスポーツ」の仲間入りをした瞬間。これをきっかけに若年層の注目が少しずつスケートボードに向くようになっていく。スケートボードの大衆化及びスポーツ化に不快感を覚えるストリートスケーター(街で滑る類のスケーター)も少なくなかったが、小さなスケートコミュニティの外から投入される資本の恩恵を受けるプロスケーターが続出したのも事実だ。
スケボーゲーム『Tony Hawk’s Pro Skater』が大ヒット
その恩恵を受けた好例がトニー・ホークだろう。80年代からバーチカルと呼ばれるハーフパイプの種目で絶大な人気を誇るプロスケーターだ。