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堀米雄斗は22歳で「年収億単位&ロスに豪邸」…スケボーはなぜ“食えるスポーツ”になったのか?〈10億ドル産業〉
text by
梶谷雅文Masafumi Kajitani
photograph byGetty Images
posted2021/08/05 11:03
東京五輪のスケートボード男子ストリートで初代王者に輝いた堀米雄斗。22歳にして約1億円を稼ぐ業界のカリスマ的存在でもある
1999年のX Gamesでは空中で2回転半する前人未到の900(ナインハンドレッド)というトリックを成功させるという偉業を成し遂げている。その模様ももちろんテレビで放送され、全米で大きな話題を呼ぶこととなった。その10年後の2009年に取材でトニー・ホークのオフィスに伺ったことがあるのだが、「いつか900を成功させたい」という子どもたちからのファンレターが飾ってあったのを覚えている。つまり、10年経っても色褪せない凄まじいレガシーを残したわけだ。
さらに900を成功させた同年には、トニー・ホークの名を冠したスケートボードのテレビゲーム『Tony Hawk’s Pro Skater』が発売され世界中で大ヒットを記録。翌年にリリースされた第2弾とともに2000年代初頭におけるテレビゲーム業界のベストセラーとなった。本作はスケートボードをさらに一般大衆に浸透させただけでなく、スケートコミュニティの環境改善にも貢献する。
ゲームのキャラクターとして起用されたプロスケーターたちの生活が本シリーズによって経済的に好転。これはスケーターだけで回してきた内輪のスケートコミュニティに外部の資本が加わり成功を収めた最たる例だと言える。アメリカで「なりたい職業」の上位にプロスケーターがランクインしているのは、トニー・ホークの功績が大きい。
世界的ブランドの参入で“10億ドル市場”へ
そうして2000年代に突入すると、大衆に広まったスケートボードはポップカルチャーにも取り入れられるようになっていく。アヴリル・ラヴィーンの“スケーター・ボーイ”、プロスケーターを起用したMTVのリアリティ番組『Jackass』、さらにはMountain Dew主催の大規模なコンテストシリーズDew Tour、2010年にはStreet Leagueもスタートする。ちなみにStreet Leagueとは、五輪のストリート種目で採用されているルールを構築したコンテストである。