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欧州SL崩壊後もセリエAが大モメ… ユーべサポ「恥を知れ」、マルディーニ「自分は蚊帳の外」、UEFAに楯突くコンテ、怒りのプロビンチア
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弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2021/05/04 17:02
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地元紙トゥット・スポルトも欧州SL構想に「NO!」を突き付けた
元ラツィオ会長が明かした20年前の欧州SL構想
事件の全貌を理解する前にいつの間にか騒ぎが終わっていた、という印象を持った日本のサッカーファンもいるだろう。
すっかり普及したSNSやリモートワークが基礎となりつつある社会構造が、反応の高速化を後押ししたことは確かだ。ただし、それらはあくまで道具にすぎない。
なぜ、今回の事件に対してイングランド、イタリア、スペイン、他の欧州の人びとは、あんなに迅速な対応ができたのだろうか。
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「実は『欧州スーパーリーグ』計画は1998-99シーズンにはすでに存在していて、実現へ動いていた。アイデアを吹き込んできたのは、そのときもスペインのクラブだったよ」
これは御年81歳になる元ラツィオ会長のセルジョ・クラニョッティが、20日付の一般紙『メッサッジェーロ』において語ったコメントだ。
当時、ラツィオは紛れもなく欧州列強の一角だった。敏腕投資家だったクラニョッティが98年5月にイタリアで初めてクラブ株式を公開し、市場からの資金調達に成功。巨額の補強を実現したラツィオは、欧州カップ戦で暴れまわった。
「我々の時代のスーパーリーグ構想では、20チーム以上が参加するフォーマットだった。イタリアからは、ラツィオを含めた6クラブだ。欧州だけに限らず、広く他の大陸からも参加させる形だったよ。大会の出資元となる投資銀行などはなかった。我々はただTV放映権料を吊り上げたかっただけなんだ」
「国ごとに存在するリーグを殺してしまっては」
昔から名優クリストファー・ウォーケンを思わせる顔立ちのクラニョッティは、計画が倒れた理由にも触れた。
「クラブ会長同士で何度も話し合ったよ。だが、最終的には『国ごとに存在するリーグ戦を殺してしまっては何にもならない』という結論に達した。計画はそこで潰えたんだ」
とはいえ、“国境を超えたエリートリーグ構想”が何度も報道される内に、サッカーを愛する人々は考えざるをえなくなった。
スーパーリーグという名の怪物は、小さな町のクラブの存在意義を潰しかねない。その潜在的危機意識は、少なくとも20年以上もイタリアの隅々に息づいている。
だから彼らは欧州スーパーリーグ計画が発表された瞬間、“これはヤバい”と直感した。すぐに動かなければ、権力者の望むように押し切られる。つまり、これははっきりとした階級闘争だったのだ。そして彼らは、抗うべきときに抗った。