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五輪の父でさえ「女性参加は不快で間違っている」…女性はどうやって“オリンピックの性差別”と戦ってきたのか?
text by
飯塚真紀子Makiko Iizuka
photograph byGetty Images
posted2021/03/02 11:02
1928年に女性参加が認められた「女子100メートル」
先日、米国でオリンピックの放映権を握っているNBCが公式ニュースサイトで「森氏は去らなければならない」と題する意見記事を掲載して大きな話題を呼んだが、その意見記事を寄稿したのが、オリンピック問題の専門家で、パシフィック大学教授のジュールズ・ボイコフ氏だ。ある意味、ボイコフ氏の記事が森氏辞任に繋がったと言っても過言ではない。
そのボイコフ氏は、記事の中で、IOCの悪しき性差別の歴史についても紹介している。それによると、冒頭の性差別発言をしたクーベルタンは、米国で女性が選挙権を獲得して15年が経った1935年にも、依然としてこんな発言をしていたという。
「私は女性が公の競技会に参加することに個人的には賛成していない。だからといって、目覚ましいシーンを見せない限り、女性たちはスポーツをしてはいけないと考えているわけではない。オリンピックでは、これまでのトーナメント同様、女性の主な役割は勝者に栄冠を与えることなのだ」
女性はスポーツプレイヤーというより、男性勝者を讃える役割を果たすべきだと考えていたわけである。
ボイコフ氏によると、1952年から1972年までIOC会長を務めたアべリー・ブランデージも性差別主義者だったという。女性がオリンピックに参加していることに対する彼の気持ちを的確に表す、「怒りのアベリー」というニックネームまでつけられていた同氏はIOC委員宛ての手紙の中でこう言及している。
「女性の競技がオリンピックから排除されるべきだと考えている人々は少数派になっている。しかし、まだ、あまり女性的とは言えない砲丸投げや、女性には激し過ぎる長距離走のような競技については(女性は排除されるべきという)正当な抗議の声があるのだ」
“ヌード・パレード”....屈辱的な性器チェックまで
また、信じがたいことだが、ニューヨーク・タイムズ・マガジンによると、1960年代には、国際試合に参加する女性アスリートの性器チェックが行われたこともあったという。女性とは思えない力を発揮するアスリートや、女性として参加したものの後に男性だったと発覚するアスリートも出てきていたからだ。
性器チェックは“ヌード・パレード”とも呼ばれ、医師たちの前で、女性がパンツを下ろしたり、仰向けになって膝をあげたりしたかっこうで性器を確認されることもあった。しかし、屈辱的な性器チェックには不満の声があがり、IAAFとIOCは60年代後半、ジェンダーを確認する方法として、染色体検査を導入した。