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五輪の父でさえ「女性参加は不快で間違っている」…女性はどうやって“オリンピックの性差別”と戦ってきたのか?
posted2021/03/02 11:02
text by
飯塚真紀子Makiko Iizuka
photograph by
Getty Images
「オリンピックは勝つことではなく参加することにこそ意義がある」
誰もが耳にしたことがある言葉だろう。この名言を述べたのは古代オリンピックを近代に復興させ、「近代オリンピックの父」と呼ばれているピエール・ド・クーベルタンだ。クーベルタンはIOC(国際オリンピック委員会)の初代事務局長を務め、五輪のマークを考案したことでも知られる。
そのクーベルタンはこんな発言もしていた。
「女性をオリンピックに参加させることは、実際的でなく、面白くなく、不快で、間違っている」
彼はさらにこうも述べた。
「女性の誇りは、産む子供の数とクオリティーを通してはっきりと表に現れる。そしてスポーツについて言えば、女性の素晴らしい偉業は、自分の記録を出すことではなく、息子たちを勝利に向けて励ますことだ」
クーベルタンは、オリンピックは男性のためにあるスポーツの祭典であり、女性はオリンピックに出場できるような優秀な男子をたくさん産めばいいと考えていたのである。あからさまな女性差別だが、女性参政権がなかった時代である。彼の発言に違和感を覚える人はあまりいなかったのかもしれない。
女性を排除して始まったオリンピック
そんな考えを持つクーベルタンの下、1896年、アテネで第1回オリンピックが開催された。当然のことながら、競技への参加が許されたのは男性だけだった。IOCは女性たちをオリンピックから完全に排除したのである。
1900年のパリ・オリンピックでは、997名のアスリート中、2.2%にあたる22名の女性の参加が許されたものの、参加できたのはテニス、セーリング、クロッケー、馬術、ゴルフといった5競技。その後、アーチェリー、スケート、水泳などの競技も加えられたものの、オリンピックの花形競技と言える陸上競技への女性の参加は1928年のアムステルダム・オリンピックまで認められなかった。
女性の五輪参加に尽力した「アリス・ミリア」とは?
やっとかなった女性の陸上競技への参加。その舞台裏では、あるフランス人女性の奮闘があった。女性をより多くのオリンピック競技に参加させるべくIOC(国際オリンピック委員会)と闘ったアリス・ミリアだ。