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19歳マラドーナ、“衝撃の太もも” 同い年の水沼貴史が語るワールドユース秘話と伝説のアシストとは

posted2020/11/27 20:00

 
19歳マラドーナ、“衝撃の太もも” 同い年の水沼貴史が語るワールドユース秘話と伝説のアシストとは<Number Web> photograph by Getty Images

1979年のマラドーナ18歳、ワールドユース優勝時の写真。日本の地から天才の伝説は始まった

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水沼貴史

水沼貴史Takashi Mizunuma

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Getty Images

 昨日の朝、ディエゴ・マラドーナの訃報に触れました。享年60歳。同い年の私にとっては“最初に出会ったスーパースター”だったので、ショックは大きかったです。

 マラドーナと言えば「5人抜き」「神の手」など数々の伝説を残しましたが、それを語る前に彼との出会いの話を。初めて会ったのは日本で初めてFIFA主催大会として開催されたFIFAワールドユース選手権(1979年)です。当時のアルゼンチンは前年のW杯で自国優勝を果たしていた強豪国。その次世代を担う顔として注目を独り占めしていたのがマラドーナでした。

今にも鮮明に覚えている“太もも”

 今でも鮮明に覚えているのは、宿泊先のホテルで目撃した“太もも”。年齢などを確認するパスポートチェックの際、日本代表の後に順番を待っていたのがアルゼンチン代表でした。通路の出窓のようなところに短パン姿のマラドーナが腰掛けていたんですが、そのムキっと盛り上がる足が目に飛び込んできた。「これはモノが違うぞ……」と、愕然としましたよ。

 私たちも世界で戦うためにトレーニングを積んで、それぞれ体重を増やして臨んでいたんです。それでもすぐに到底、敵わないだろうと思ってしまう佇まい……プレーよりも足のインパクトがいまだに残っています(笑)。

 アルゼンチンは、もちろんワールドユースでも優勝候補。すでに最年少でフル代表デビューも飾っていたマラドーナはチームの顔でした。そこに2枚看板として君臨していたのが日本でもお馴染みのラモン・ディアス。彼と14年後にマリノスで一緒にプレーするなんて当時は想像もしていなかったですね。

 まぁ、ディアスとマラドーナは仲が悪かったと聞いたことがあるので、昔話はできませんでしたけど(笑)。

【次ページ】 同じ宿舎でラジカセやらステレオやら

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