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憎きマラドーナを、本当は大好きだった… “不仲のち親友”ペレ&宿敵ブラジルが嘆く天才の早すぎる死
posted2020/11/26 17:35
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Getty Images
「何という悲しいニュースだろう。私は偉大なアミーゴを、世界はレジェンドを失った。他にも言いたいことはたくさんあるが、今は神様が彼の家族に力を与えてくださることを願う。
いつか、天国で彼とボールを蹴りたいものだ」
かつて確執を伝えられたこともあるキング・ペレが、自身のツイッターで追悼のコメントを発表した。1986年ワールドカップ(W杯)の優勝カップをメキシコの空に高々と掲げ、破顔一笑するあの男の写真と共に――。
82年W杯、ブラジル戦で未熟な一発退場
多くのブラジル人にとって、宿敵アルゼンチン代表を躍進させた小柄な背番号10は憎悪と軽蔑とからかいの対象だった。
1982年W杯で、ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの“黄金のカルテット”を擁するブラジル代表は2次リーグで隣国のライバルと対戦。ブラジルが優勢に試合を進め、苛立った21歳のディエゴ・アルマンド・マラドーナはブラジルのMFバチスタの腹を蹴って退場処分を受けた。ブラジルのメディアと国民は、この若者の未熟さを嘲笑した。
ところが、その4年後、彼はとてつもない選手になっていた。イングランド戦の5人抜き独走ゴールなど超人的なプレーを連発し、母国を8年ぶり2度目の優勝に導いた。
とはいえ、ブラジルのメディアは彼と宿敵を称えはしない。準々決勝フランス戦の後半にPKを失敗したジーコ、PK戦でキックを外したソクラテスらを断罪した。
1990年大会では、セレソンが彼にこっぴどく痛めつけられた。