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巨人、大量16人「戦力外通告」の真相 原辰徳監督の戦略と台頭する“第7世代”の実態とは
posted2020/11/13 17:03
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Hideki Sugiyama
「育成の巨人」と呼ばれた時代があった。
球界に育成制度が導入された2005年に初めて巨人が育成枠で獲得したのが山口鉄也投手。そして翌06年にはドラフト1位で坂本勇人内野手を獲得し、育成枠で松本哲也外野手が入団した。そうした生え抜きの若手選手が続々と一軍で実績をあげてチームの核となっていった。
それは08年から数年間のことである。
それまでのチーム編成は大型補強に偏り、外からの血を入れることで勝てるチームを作ってきた。ただそれが逆に生え抜きの若手選手を育てる場を奪ってしまっていた。
そんなチーム編成が大きく転換したのがこの時期だったのである。
補強と育成というバランスの中でチーム力を充実させた
ただ、この「育成の巨人」が成功した背景は、単純に若手を使ったから育ったという構図ではないことも明記すべきだろう。補強と育成というバランスの中でチーム力を充実させていった。
実際に07年のチームは生え抜きの内海哲也、高橋尚成に上原浩治らの投手陣を軸に、打線も高橋由伸外野手、阿部慎之助捕手、二岡智宏内野手らと、小笠原道大内野手、谷佳知外野手らの移籍選手が絡んでチームの柱が出来上がっていた。さらに08年にはセス・グライシンガー投手とアレックス・ラミレス外野手を補強し勝てるチーム作りが完成。そうして初めて本格的に育てながら勝つ環境が整った。
そういうバランスのとれた編成こそが、「勝ちながら育てる」という二律背反した命題への唯一の答えなのである。
「常に勝つことを求められる巨人では、育てるためにこそ補強が必要だ」という原辰徳監督の考え通りのチーム編成で、坂本や松本をレギュラーに固定することができるようなっていった訳である。