“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
川又堅碁、這い上がるための「44」。
ゴールポストに激突したあの日から。
text by

安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/07/31 11:30

J2第3節水戸戦で移籍後初ゴールを奪った川又堅碁。「フクアリで決めたい」とさらなる活躍を誓った。
「どう治せばいいか分からない」
「脱臼経験者に話を聞いても、自分のケースはかなり特殊。(昨年)夏の段階では治療に専念することも考えていました。でも、何度検査しても神経は傷ついていないし、脱臼した箇所も綺麗だったみたいで、神経麻痺と言われても具体的にどう治せばいいか分からない。治療に専念したところで本当に完治するのかという不安と疑問がどうしても消えなかった。だからプレーを続けながら治すという決断をするしかなかったんです」
右肩と腕が使えなくても、基礎体力や筋力を絶対に落としてはいけない。川又は不安を打ち消すように全力でトレーニングに打ち込んだ。
「下半身には何も問題がなかったので、競輪選手がよくやっている3点ローラーの自転車(車輪の土台に前輪1つ、後輪に2つのローラーを置いてその場で漕げる自転車)を1日1時間漕いだり、アジリティー系のトレーニングや坂道ダッシュもやりました。坂道ダッシュは右腕を振らずに狭い歩幅でやっていましたね」
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サッカーを続けられるのかーー。そんな思いも頭をよぎるなか、それでも諦めるという選択肢は一切なかった。磐田が残留争いの真っ只中という状況もあり、「絶対にこのクラブをJ2に落としてはいけない」とエースとして自らを奮い立たせていた。
「ゼロ円提示」よりもショックだったこと。
しかし、9月に2試合(スタメン1試合)、11月に1試合に出場したが、思うような活躍ができず、チームも無念のJ2降格。すると、クラブから契約満了を告げられる。
「手負いの状況でも、自分にマークが来てくれれば周りが空くし、チームに貢献できるはずという気持ちでプレーしていました。でも、やっぱりいざ試合に出てみると苦しかった。もしかすると自分が無理してプレーしたことが、逆にチームに悪影響を与えてしまっていたかもしれません。契約満了を言い渡された時はもちろんショックでしたが、実際にJ2に落ちてしまったことで、クラブ側も次の移籍のことも考えてゼロ円提示にしてくれたのかなと受け止めました」
蓋を開けてみると、川又獲得に動くクラブは現れなかった。彼のコンディションを耳にして二の足を踏んだのだろう。
「どちらかと言うと、(磐田の契約満了よりも)そっちの方がショックでしたね。ただ、本音で言えば、肩が万全ではないし、治る保証もない状態では仕方がないことだとわかっていました。11月中旬あたりから少しずつ痛みや痺れが消えて、筋トレでも最初は何もついていないバーベルすら持ち上げられなかったのに、徐々に重りをつけてできるようになった。腕立て伏せもできるまでに。完治に向けての光が見えてきたからこそ、焦らずにリハビリをしっかりとしようと割り切れました」