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川又堅碁、這い上がるための「44」。
ゴールポストに激突したあの日から。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph byJ.LEAGUE

posted2020/07/31 11:30

川又堅碁、這い上がるための「44」。ゴールポストに激突したあの日から。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

J2第3節水戸戦で移籍後初ゴールを奪った川又堅碁。「フクアリで決めたい」とさらなる活躍を誓った。

2019年4月28日、ゴールポストに激突。

 磐田時代の2019年4月28日、J1第9節北海道コンサドーレ札幌戦。0-2で迎えた73分、MF上原力也の左CKからニアでMF田口泰士がヘッドですらしたボールに反応した川又は、ファーサイドにダイビングヘッドで飛び込んだ。わずかにボールには届かなかったが、川又らしいダイナミックなプレーだった。だが、次の瞬間、勢い余って右ポストに右肘を強打。勢いよく前に倒れたことで、右肩を脱臼してしまった。あまりの痛みにその場でうずくまると、そのまま担架でピッチの外に運び出された。

 病院に直行し、懸命な治療のもと、脱臼はすぐに整復。しかし、このワンプレーが彼のサッカー人生に大きな影響を与えることになった。

「脱臼してからずっと右の掌が痺れて、力が入らない状態が続きました。コップすらもまともに持てないんです。1、2カ月したら痛みは消えるだろうと言われていたのですが、一向に痺れは取れないし、良くなるどころか右肩が上がらない状態になってしまった」

 川又は全国の病院や治療院を駆け回った。当初のMRI検査では異常なしと診断されたが、原因不明の痛みと痺れに向き合う日々が続く。それでも、セカンド、サードオピニオンを聞き、ようやくたどり着いた病院で下されたのは「神経麻痺」という診断だった。それも即手術を要するものではなく、経過観察、かつ全治も不明。結局、川又は不安を払拭できないまま、残りのシーズンを過ごすことになった。

生命線だった「ハンドオフ」。

 それからも常に痛みと不安がつきまとった。右手を上げようとしても、途中でストンと落ちてしまう。掌、手の甲、そして肘とあらゆる箇所に痺れが残る。

「首から右手にかけて力が入らないというか、動かそうにも意のままに動かない。まるで自分の手ではないような感覚でした。練習していてもちょっと右肩を触られたり、軽く右腕を引っ張られただけで激痛が走るんです。痛みもすぐに引かず、長くて1分近く残ってしまい、ピッチの外に出て痛みが治まるのを待つほど。だんだん恐怖に変わっていきましたね」

 川又の代名詞はゴール前でのダイナミックなプレーだ。DFを背負った状態でのボールキープをするポストプレーもストロングポイントである。それを可能にしていたのが「ハンドオフ」だった。彼の天性のバネ、フィジカルの強さ、そして肩甲骨の可動域と腕力は、右脇を閉じたままのプレーでは発揮されない。つまり、最大の持ち味を失うことになったのだ。

「常に脇を閉じたままでは思うようにジャンプできないし、身体のバランスが取れず、ちょっとした当たりでもすぐに倒れてしまう。特に左サイドからのクロスボールが上がる場面では、右手で相手をブロックしないといけないのに、強引に首だけ持っていく形で飛び込んでいました。それに(利き足の)左足のシュートも右手が前に出せないので、上半身の回旋だけで打つから全然イメージ通りに打てない。自分が自分ではなくなる感覚でした」

 プロ12年目。これまでもいろんな苦しい経験をしてきたが、それでも身体は言うことを聞いてくれた。しかし「偏頭痛がしたり、ご飯のときも箸で口まで持っていけないので、顔を持っていって食べていた」と、日常生活にまで支障をきたすような状況は味わったことがなかった。

【次ページ】 「どう治せばいいか分からない」

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