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川又堅碁、這い上がるための「44」。
ゴールポストに激突したあの日から。
posted2020/07/31 11:30
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
J.LEAGUE
2020年1月14日。J2ジェフユナイテッド千葉の沖縄キャンプの初日、クラブの広報がその模様をまとめたレポートを公式ホームページにアップすると、Twitter上でちょっとした騒ぎになった。
<あれ、これ川又じゃない?>
千葉の選手、スタッフ、キャンプ地である南城市の関係者が笑顔で収まった集合写真。そこに川又堅碁の姿がはっきりと写っていた。
「あの写真を撮る時、(まだ契約選手ではなかったため)僕は外れようと思っていたのですが、クラブの方が『入って良いよ』と言うので、大丈夫なのかなと思いつつも撮影したんです。そうしたら案の定ネットで広がって……。めちゃくちゃ恥ずかしかったですよ(笑)」
この時の彼の立場は「練習生」。しかも、キャンプ初日の数日前に参加要請が届いたばかり。実家のある愛媛でリハビリを続けていた矢先のことだった。
「コンディションが上がりきっていない状態でもあったので、2月頭くらいまでリハビリに集中する想定でした。でも、このチャンスを逃したら次はないかもしれないと思いましたし、ジェフからもすぐに返事が欲しいと言われていたので急遽参加することにしたんです」
「デジっち」で人気も獲得。
川又は2008年に愛媛県立小松高校からアルビレックス新潟に加入。プロの壁にぶち当たりながらも、'12年に期限付き移籍をしたファジアーノ岡山で一気に才能が開花した。184cmの高さとずば抜けた身体能力を駆使してJリーグ初ゴールをマークすると、この年、J2得点ランキング2位となる18ゴールを叩き出し、新潟に復帰した翌'13年にはJ1の舞台でキャリアハイとなる23ゴール(J1得点ランキング2位)をマーク。ついに本格派ストライカーとしてブレイクした。
その後、名古屋グランパス時代の'15年には念願の代表デビューを飾り、'17年に完全移籍したジュビロ磐田では2年連続で2桁ゴールを記録するなど、J1屈指の点取り屋に成長した。さらに、テレビ朝日のサッカー番組『やべっちF.C.』の名物企画『デジっち』などで披露する変装やユーモアたっぷりの言動でサポーター人気も獲得。コワモテのビジュアルだが、最近では子どもたちから「デジっちの人」と呼ばれるほど、そのキャラクターは定着している。
そんな男がなぜ「無所属の練習生」だったのか。そこには人知れぬ、怪我との戦いがあった。