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【THIS IS MY CLUB】横浜FC元10番、
内田智也広報が語る“再入社”と未来。
text by
谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/07/03 11:45
2019シーズン、本拠地ニッパツでサポーターと歓談する内田智也広報。現役選手からの転身例として新たな道を歩もうとしている。
広報としての原動力となる思い。
そこには広報としての原動力となる思いが交錯する。
「現役時代から『夢先生』などをやらせてもらっていたので、若手にもそういう機会をたくさん作りたいなと思っているんです。やってみてわかるんですが、やっぱり人前で話すことはとても難しい。そういう経験を現役時代のうちから積み重ねることは、サッカー選手を辞めた後のキャリアに絶対に活きる。僕の周りでも引退後に苦労している選手が多いのが現状ですからね。
それにこれからサッカー選手を目指す子どもたちに、サッカー選手を辞めた後のキャリアをしっかり見せていきたい。そうじゃないと親御さんも背中を押してあげられないと思うんです」
最近では、フロント入りする元Jリーガーが増えてきた。北海道コンサドーレ札幌の野々村芳和氏のように経営のトップに立つ例もある。とは言え、まだまだ選択肢が多いとは言えない。内田自身も現役時代に指導者のライセンスを取得したが、セカンドキャリアの前例を作るためにフロント入りを希望した経緯がある。だから「大変でも簡単にはやめられないなって思っています」。
物腰の柔らかさの下に見え隠れする芯は、若手選手に話が及んだ時も垣間見ることができた。
現役時代に感じた広報観とクラブ史。
現在の横浜FCには売り出し中の注目株が揃う。
横浜FCアカデミー出身の斉藤光毅(18歳)、大卒ルーキーの松尾佑介(22歳)らがすでに主軸として活躍している。見本となるベテランがいっぱいいるだけに「僕から何か特別に言ったりすることはほとんどない」と笑うが、内田自身も18歳でプロの世界に足を踏み入れた1人だ。社会人となって間もない当時は広報の仕事をどう見ていたのか。
「若い頃は、広報さんに対して困った時のお世話役というイメージを持っていました。グッズが欲しい、写真が欲しいとか、よく相談していましたね。取材を受ける時の言葉遣いや態度の大切さなど、社会人として必要なことも教えてもらいました。若い選手たちはパワーがありますから、それをしっかりと良い方向に導かなければいけないなという意識もあります」
内田が横浜FCに加入した2002年は、Jリーグ昇格2年目(J2)。環境はいまと比べ物にならなかった。決まった練習場もなく、練習開始5分前に「雨だから場所を変更」ということも日常茶飯事。100円を払ってシャワーを浴びて、駐車場代も自費。練習すればするほど経費がかさんでいった。そんなクラブの歴史を知るからこそ、後輩たちに伝えたい思いは多いのだ。
「早いうちからああいう経験をできたことは良かった。大宮(アルディージャ)に移籍した時はやっぱりサッカー選手は環境面、報酬面においても常に上を目指さないといけないと感じることができた。だから、3食ご飯があって、練習場があって、という環境を『当たり前だと思うなよ』って伝えています(笑)」