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7月4日は清水エスパルスの誕生日。
J再開は王国復活の第一歩となるか。
posted2020/07/02 20:00
text by
望月文夫Fumio Mochizuki
photograph by
J.LEAGUE
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で約4カ月間中断していたJ1リーグが、7月4日に再開する。奇しくもこの日は、J1清水エスパルスの誕生日である。
28年前の1992年のこの日に、オリジナル10(創設時の10クラブ)としてJリーグに参戦する清水が、初めて国内の対外試合の場でお披露目された。その記念すべき船出の日が、誕生日という形で残されたのだ。
対外試合の相手は、日本サッカーリーグ(JSL)1部の強豪だった松下電器からJリーグに参戦したガンバ大阪(以下、G大阪)だ。アウェーで大阪・長居競技場に乗り込んだ清水だったが、ホームのG大阪以上にサッカー関係者やファンから注目されていた。
というのも、JSLに所属していなかった日本一のサッカーどころの清水市(現・静岡市清水区)に誕生したプロチームが、いったいどんなサッカーを見せてくれるのか、未知数の実力に興味が集まっていた。
清水三羽ガラス・大榎氏の回想。
すでにチームには、古豪県立清水東高出身の清水三羽ガラス(長谷川健太、大榎克己、堀池巧)を始め、地元静岡県出身のスター選手たちが全国から集まっていた。その顔ぶれだけでも当時のサッカーファンの心を動かしたが、期待に応えた清水イレブンは試合の主導権を握り2-0と快勝。静岡サッカーの底力を改めて見せつけた。
実は一部には、地元から全国各地に散らばっていた選手を寄せ集めたチームが、日本リーグから参戦したJクラブに敵うわけがないと、清水の力を低く評価するメディアもあった。しかし当の選手たちは「小学生から日本一を経験した選手が多い自分たちが、簡単に負けるわけがない」と自信をもって臨んでいた。
清水東三羽ガラスの1人で、清水のJリーグ参戦決定とともに真っ先に他クラブから加入した大榎氏(現・清水GM補佐)は、「確かにいろいろなクラブから来た選手ばかりの寄せ集めだったし(笑)、まだ成熟度も低かったと思うけど、きれいにつないで攻め込む静岡サッカーはしっかりと踏襲していた。多くの選手は育った環境が同じだから、ピッチに立てば昔のイメージで連携できた」と、単なる寄せ集めでなかったことを強調した。