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あのとき猪木の舌は出ていなかった。
大どんでん返しのIWGP決勝戦秘話。
posted2020/06/28 11:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
アントニオ猪木を追いかけ続けて50有余年! 伝説のプロレスラーを長年撮影してきた伝説のカメラマン原悦生が、今だから明かせる秘話を綴ってくれました。今回は「IWGP構想」の原点から現在のIWGP王座に至るまでの話。IWGP編は全3回。第2回は、「猪木舌出し失神KO負けの真実」です。
1983年6月2日、記念すべき第1回IWGP決勝リーグ戦の優勝戦のカードはアントニオ猪木vs.ハルク・ホーガンだった。このカードが決まったのは優勝戦前夜だった。
筆者はこの大会の優勝戦のカードは猪木vsアンドレ・ザ・ジャイアントで、優勝は猪木だ、と大会前から確信していた。何がどう転ぼうが、鉄板の予想だと信じて疑わなかった。「猪木でしょう」「猪木に決まっている」それ以外の答えなど存在しない……というほどの雰囲気だった。
優勝戦前日の試合前の時点でも、今日もアンドレが勝つか引き分けるかして勝ち点39あるいは38で首位で待つことになるはずだと安心していた。さらに、勝ち点37で並ぶだろう猪木とホーガンが優勝戦進出者決定戦を戦っても、優勝戦の猪木vs.アンドレのカードは動かないと確信してもいたのである。
不穏な雰囲気が流れていた開幕前夜。
そもそも……その4週間前の5月5日、IWGP決勝リーグ戦の開幕前夜、東京の京王プラザホテルでのレセプションからして波乱含みだった。
ステージ上にはアンドレ、ホーガン、ビッグ・ジョン・スタッド、オットー・ワンツ、エル・カネック、エンリケ・ベラ、キラー・カーン、前田日明、猪木が座っていた。
アメリカのビンス・マクマホン(シニア)、カナダのフランク・タニー、メキシコのカルロス・マイネスら有力プロモーターの姿もあった。
急に欠場を余儀なくされたディノ・ブラボーに代わってラッシャー木村が乱入、急遽代役としてリーグ戦に加わることになった。