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木村沙織の別格の存在感とワクワク。
仲間が「勝負の1本」を託した理由。 

text by

田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byKaoru Watanabe/JMPA

posted2020/05/23 11:30

木村沙織の別格の存在感とワクワク。仲間が「勝負の1本」を託した理由。<Number Web> photograph by Kaoru Watanabe/JMPA

2017年に現役引退した木村沙織。銅メダルを獲得したロンドン五輪では、別格の存在感を見せつけた。

主将として臨んだリオ五輪。

 インドアの女子バレーボール選手として4度の五輪出場を成し得たのは日本では木村しかいない。だが、銅メダルを獲得した3度目のロンドン五輪をピークとするならば、現役最後となったリオデジャネイロ五輪までの四年は、容易い道のりではなかった。

 ロンドン五輪を終えた木村は、世界最高峰のトルコリーグ、ワクフバンクへ移籍。「想像もしなかった」という海外挑戦も果たし、やるべきことはすべてやりきったと現役引退を決意していた。だが、眞鍋政義・前女子バレー日本代表監督の打診を受け、2016年のリオ五輪を目指し、キャプテンに就任した。

 覚悟の上の決断ではあったが、年下のキャリアが浅い選手が増える中、目が向くのは自分よりも周りのことだった。自分の引き出しを増やし、さらに技を磨くよりも他の選手がやりやすいように、と気を配るばかりで、かつての竹下や吉原知子のようにキャプテンとして強いリーダーシップを発揮できるわけでもない。

 それならばプレーでと、自身が望むトスや攻撃パターンを要求すればいいのだが、自分が合わせればいいと気遣うため、どんなトスがほしいと要求することもしない。その結果、スパイクに力が乗らず、あれほど伸び伸び放っていたスパイクは影を潜め、窮屈そうに放つ打球はなかなか決まらない。

 日本代表も、3季ぶりに復帰した東レでも思うような結果が残せず、そんな時だけは矛先を自分に向けた。

「木村の背中に炎が見えた」

 あれほど表に感情を出すことがなかった木村が「ここに自分がいないほうがいいんじゃないか」と涙する姿を何度も見た。

 自ずと、考えなくてもいいような想像が筆者の頭をちらつき始める。このままキャプテンとしての日々を苦しんで過ごし、ユニフォームを脱ぐのか。ならばせめてもう一度、伸び伸びと思い切り打ち抜く、頼れるエースの姿が見たい、と。

 そして、その日は訪れた。2016年5月21日。リオ五輪世界最終予選、対イタリア戦。

 全部トスを持って来いとばかりに、木村は自ら打ちまくった。サーブレシーブからのサイドアウトも、相手の攻撃を防いだ後のブレイクも、7割、いや8割近くと言ってもいいほどセッターの宮下遥は木村に上げた。

 後で聞けば、大会前の遠征で自信をなくし、早朝から自主練習をしていた宮下のもとに突然木村が「スパイクを打ちに来た」と現れたのだという。それまではレフト側からの攻撃展開をやや不得手とした宮下だが、他の誰にも言わず、2人でひたすら練習を重ねた日々を信じ、「最後の最後は沙織さんに託そうと決めていた」と明かした。

 そんな宮下に「全部持ってきていいよ」と告げた木村も、「勝つためには遠慮せず私が頑張らないと」と覚悟を決め、やや高めのトスを2枚揃ったイタリアブロックの横を抜くだけでなく、上からでも叩き込んだ。得点した後も周りを盛り上げようと笑うのではなく、小さく右の拳を握り、叫ぶ。

 何が何でもこの試合で決めてやる、と闘志を見せて戦う姿を見て、「久しぶりに、木村の背中に炎が見えた」と眞鍋監督も称えた一戦は、紛れもなくそれまで何度も見てきた日本代表の揺るがぬエース、木村沙織の試合だった。

【次ページ】 木村の取材はいつも緊張した。

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