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鎌田大地は「やっぱり掴めない」。
東山高時代の覚醒と葛藤、そして今。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2020/04/22 11:00

鎌田大地は「やっぱり掴めない」。東山高時代の覚醒と葛藤、そして今。<Number Web> photograph by Takahito Ando

東山高校時代の鎌田大地。当時から抜群のテクニックで異質な存在感を放っていた。

豊田をサポート、点が獲れる選手。

「6月に対戦相手の選手の視察に行ったら、東山にかなり面白い選手がいるなと思ったんです。でも、すぐにどこかのチームに決まるだろうなとも思っていた」

 こう話すのは当時、サガン鳥栖のスカウトを担当していた牛島真諭(現・湘南ベルマーレスカウト)だ。中島賢星(現・FC岐阜)や増山朝陽(現・ヴィッセル神戸)らの視察のため、東福岡高校のグラウンドを訪れていたが、劣勢ムードの中で1人気を吐く、東山の14番に目が留まった。

 ちょうどこのころ、牛島は鳥栖に必要な選手として「10点くらい取れてゲームも作れる選手」をイメージしていた。

「年間15点を計算できる絶対的エース(豊田陽平)はいるが、得点パターンがスピードのある両サイドの突破からのクロスからのゴールか、長い縦パスから裏へ抜け出してのゴールが多かった。鳥栖の絶対的な武器だったのですが、そこにセカンドストライカーとして10点取れる選手が必要だったんです」

 中央で豊田をサポートしながらタメを作れて、自分でも決めきれる選手――。鎌田は牛島が求めていた要素すべてを持ち合わせていた。

海外移籍も見据え「やれる自信はある」

 鎌田には強豪大学に進学する選択肢もあった。しかし、プロへの想いは強かった。

「大学進学というのも僕にとっては必要な道かもしれません。でも、やっぱり僕には譲れない思いがあるんです。大学卒業をしてからプロ入りをすると、もう22歳。世界的に見ても22歳でプロになるのは、絶対に遅いと思ったんです。僕としては、高校からJリーグに行って、1年目から出ることが理想だし、そうしないといけないと思っています。それに僕はJリーグの先のことも考えています。世界に出てプレーしたいという夢はずっと持ち続けている。なかなか評価されませんが、僕の中ではやれる自信は十分にあるんです」

【次ページ】 「時間がかかるが、どうしてもほしい」

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