“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
鎌田大地は「やっぱり掴めない」。
東山高時代の覚醒と葛藤、そして今。
posted2020/04/22 11:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
時間が止まったように、空間を操る不思議な存在――。
鎌田大地は、所属するドイツのフランクフルトで、今や欠かせない存在となっている。
シント・トロイデン(ベルギー)から復帰を果たした今季、シーズン当初から「セカンドストライカー」としての地位を確立。2月のヨーロッパリーグ(EL)のザルツブルク戦ではハットトリックを達成するなど、大きな存在感を発揮している。
180cmの身長がより大きく見えるほど背筋がピンとしている。それでいて、バイタルエリアやペナルティーボックス内でも余裕たっぷりにボールを扱うため、相手はむやみに飛び込むことすらできない。ファーストタッチでボールを自分の意図するプレーができる場所に正確に置き、しっかりと確保された視野によって、ギリギリの状況でシュートやパスの選択を実行する。
改めて鎌田の活躍を見ると、あの時の同じようなことを感じる。
「やっぱり掴みどころがない」
井手口らライバルに敗れ、挫折。
筆者が初めて鎌田を見たのは、彼が京都・東山高校時代の2013年頃。
当時からドリブル、パス、シュートと、アタッカーの能力をすべて兼ね備えた鎌田は突出した選手だった。すでにチームの主力となっていた高2の時にはプリンスリーグ関西で18試合・22ゴールを叩き出して得点王に輝いた。高円宮杯プレミアリーグ参入戦の藤枝東戦で決勝弾をマークし、同校初となるプレミアリーグ昇格に貢献。翌年のプレミアリーグWESTでは、2勝13敗3分とチームが最下位に沈むなか、鎌田個人は得点ランキング4位タイとなる10ゴールでブレイク。1人、異質の存在感を放っていた。
この鎌田の成長に大きく起因しているのは、中学時代の挫折と東山高校の恩師・福重良一監督との出会いである。
愛媛県で生まれた鎌田は、地元の強豪クラブであるキッズFC(現・FCゼブラキッズ)で頭角を現すと、さらなるレベルアップを求めて、大阪に住む祖母の家から通える距離にあったガンバ大阪ジュニアユースの門を叩いた。
広い視野からパスで周りを操るゲームメーカーとして期待された鎌田だったが、主戦場であるトップ下のポジションには、福岡からやってきた井手口陽介ら多くのライバルがいた。当時はまだ小柄だったこともあり、中3になっても途中出場ばかり。腰の怪我の影響もあり、思うようなパフォーマンスが発揮できず、守備面やハードワーク面での物足りなさを指摘されたこともあり、ユースへの昇格は叶わなかった。
そこでサッカーをやっていた父と福重監督が大阪体育大時代の先輩・後輩だった縁もあり、東山高の門を叩いた。