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ワシントンから浦和&Jへのエール。
「忍耐強さは世界一だからこそ……」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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posted2020/04/21 11:50

ワシントンから浦和&Jへのエール。「忍耐強さは世界一だからこそ……」<Number Web> photograph by Getty Images

2019年コパ・アメリカの際のワシントン(右)とボルソナロ大統領。いつかまた日本で再会できる日を心待ちにしたい。

浦和サポの歌声は今も耳に……。

――これまでJリーグで50試合以上に出場した外国人ストライカーの中で、あなたが1試合平均得点ナンバーワンです。

「それは知らなかった。偉大な選手が大勢いる中での一番だから、とても嬉しい。心から誇りに思うよ」

――日本へ渡る少し前、選手生命を脅かされる事態となりました。そのとき思ったことは?

「何人もの医者から『もうプレーはできない』と言われ、絶望的な気持ちになった。でも、再手術を受け、幸いそれが成功して、ピッチに戻ることができた。不可能を可能にしてくれた医師たち、常に励ましてくれた家族、そして神様のおかげだ」

――日本で成功を収めることができた理由を、自分ではどう考えていますか?

「日本の文化を尊重し、日本と日本人から多くのことを学ぼうとした。それが、ピッチ内外で生きたと思う。

 日本人の規律正しさ、他人への思いやりには感銘を受けた。プレーする環境、生活環境も文句なしだった。僕と僕の家族は日本と日本人に魅了され、素晴らしい時間を過ごした。いつも幸せな気持ちでプレーしたことが、良い結果につながった。

 浦和のサポーターは、いつも大声でチャントを歌って僕を励ましてくれた。今でもあの歌声が耳に残っている(笑)。とても感謝している」

中澤と松田、岩政は手強かった。

――Jリーグで対戦して、最も手強かったディフェンダーは?

「横浜FMの中澤(佑二)と松田(直樹)、そして岩政(大樹。当時、鹿島アントラーズ)。中澤はとてもクレバーで、先を読む力が優れていた。松田は闘志に溢れ、技術レベルが高かった。彼が(2011年に)病気で亡くなったと聞いて、ショックを受けた。岩政は、長身で空中戦が非常に強かった」

――あなたが挙げた3人は、いずれも日本代表でも活躍したJリーグ史に残る名CBです。2005年の来日直後のゼロックス杯(対横浜FM)で、その中澤佑二と守備に定評がある那須大亮を引きちぎって叩き込んだゴールは、日本のメディアとファンに衝撃を与えました。

「あれは僕の得意なプレー。ブラジルでもあの形から何度も点を取っていて、絶対の自信があった。

 あの試合の少し後にチームの遠征で移動中、新幹線の駅で中澤に会ったんだ。彼は『あなたがあんなプレーをするとは予想していなかった』と話していた」

【次ページ】 盟友はもちろんゴン、遠藤、憲剛も。

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