熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
ワシントンから浦和&Jへのエール。
「忍耐強さは世界一だからこそ……」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2020/04/21 11:50
2019年コパ・アメリカの際のワシントン(右)とボルソナロ大統領。いつかまた日本で再会できる日を心待ちにしたい。
その決定力はJで圧倒的だった。
翌2005年、東京ヴェルディへ移籍。33試合に出場して22得点をあげた(得点王ランキング2位)。そして2006年に浦和レッズへ移籍すると、ロブソン・ポンテや小野伸二ら名手から絶妙のパスを受けてゴールを量産し、26試合で26得点。マグノ・アウベスと並んで得点王に輝き、チームのJリーグ初制覇に貢献した。
2007年はJリーグ26試合で16得点とややペースが落ちたが、クラブ・ワールドカップで3点を奪って得点王となり、浦和が3位に食い込む原動力となった。
日本での3シーズンの成績を合算すると85試合64点で、1試合の平均得点が0.753。複数シーズン活躍した彼に比類するのは、エジウソンの0.729点(70試合51得点)、サルヴァトーレ・スキラッチの0.718点(78試合56得点)、エメルソンの0.71点(100試合71得点)だ。
日本人選手ではJリーグ歴代最多得点の大久保嘉人が0.413(448試合185得点)、歴代3位の中山雅史が0.442(355試合157得点)、歴代7位の三浦知良が0.433(321試合139得点)だから、ワシントンの決定力がいかに高かったかがわかる。
ブラジルで得点王、議員、長官に。
ちなみに、ワシントンは2008年は母国へ戻ってリオの名門フルミネンセでプレーし、ブラジルリーグで28試合で21得点(1試合平均0.75点)。Jリーグでの3シーズンとほぼ同じ得点率を記録して得点王となってもいる。
心臓疾患から復帰した直後の5シーズンで得点王に3度輝いたのは、奇跡に近い。日本のファンは、そのうちの3シーズンを目の当たりにする僥倖に恵まれたのである。
2011年初め、ワシントンは18年間に及んだ現役を引退。ブラジル南部カシアスで建設会社を経営していたが、地元の有力者に請われて政界入り。市会議員に当選して1期(4年)務め、2018年前半にブラジル北部の小クラブを短期間指導した後、下院議員選挙に出馬。落選したが、後に繰り上げ当選して、短期間ながら下院議員を務めた。
その後、ブラジル政府のスポーツ長官となり、昨年末からブラジルサッカー連盟の育成部門の部長を務めていたが、今年2月、コパ・ド・ブラジルの試合での行動が問題視され、更迭された。
現在はブラジル北東部アラカジューに住み、シュラスカリア(ブラジル風焼肉屋)を経営する。
そのワシントンに日本での思い出、今後の人生プランなどを聞いた。