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ワシントンから浦和&Jへのエール。
「忍耐強さは世界一だからこそ……」

posted2020/04/21 11:50

 
ワシントンから浦和&Jへのエール。「忍耐強さは世界一だからこそ……」<Number Web> photograph by Getty Images

2019年コパ・アメリカの際のワシントン(右)とボルソナロ大統領。いつかまた日本で再会できる日を心待ちにしたい。

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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 今年で28年目を迎えたJリーグの歴史は、外国人(外国出身)選手抜きでは語れない。

 欧州や南米の各国リーグと同様、外国人選手の過半数がアタッカー。彼らはチームに得点と勝利をもたらし、他のアタッカーに刺激を与え、間接的にディフェンダーの成長も促して、Jリーグと日本のフットボールのレベルアップに多大な貢献をしてきた。

 これら外国人アタッカーで、Jリーグで50試合以上出場した選手のうち、最高の得点率(1試合平均得点)を誇るのが、2005年から2007年まで在籍したブラジル出身のワシントンだ。

 189cmの長身かつ屈強で、体の使い方がうまい。それでいて瞬間的なスピードがあり、技術レベルも高い。右足からの強烈なシュート、高い打点からのヘディング、巧みなポストプレーでJリーグを席巻した。

 2000年代中盤に彼のパワフルなプレーを目撃したファンには信じがたいことだろうが、日本へ渡るわずか2年ほど前、ブラジルのメディアとファンの大半が彼の選手生命は終わったと考えていた。

不屈の「コラソン・ヴァレンチ」。

 フェネルバフチェ(トルコ)在籍中の2002年末、27歳のときに心臓に疾患がみつかり、手術を受けた。医師から「もうプレーはできない」と宣告され、クラブからも解雇されて、2003年5月、ブラジルへ帰国。

 母国でも多くの病院を訪れて検査を受けたが、どこでも「引退するしかない」と告げられた。しかし「再手術をして、それが成功すれば、ひょっとして……」と言ってくれた心臓外科医がみつかり、藁にもすがる思いで頼った。

 手術は成功し、2004年初めにアトレチコ・パラナエンセと契約。主力としてチームを牽引し、ブラジルリーグで38試合に出場して実に34得点(1試合平均0.895点)をあげた。これはこの大会の最多得点記録を3点上回り、もちろん得点王。この記録は、今も破られていない。

 得点をあげるたびに右手で心臓を叩くポーズが有名になり、いつしか「コラソン・ヴァレンチ」(雄々しい心臓を持つ男)と呼ばれるようになった。

【次ページ】 その決定力はJで圧倒的だった。

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