球体とリズムBACK NUMBER
紙吹雪と貧富差、痛烈な削り合い。
ボカ対リーベルの熱狂は唯一無二。
text by
井川洋一Yoichi Igawa
photograph byREUTERS/AFLO
posted2020/04/05 08:00
世界屈指の名スタジアムと言われるボンボネーラ。スーペルクラシコでのボルテージは想像もしえないものだった。
1978年W杯で警備を任された人物。
その日の夜、カーラに電話をしてダフ屋と会った話をすると、「絶対にそんなところで買ってはダメよ」と言い、翌日の夕食に招いてくれた。
「私には素敵な友人がたくさんいてね」とカーラの夫ロドリゴは静かに話す。マラドーナもひいきにするというステーキレストランで、かつて軍部の上官だったという落ち着いた老紳士は、優しい笑みを絶やさずに続ける。
「君は幸運の持ち主だ。(カルロス・)ビアンチが監督をしていた頃だったら、(ボカが強かったから)私もチケットを手に入れられなかっただろう。私はフットボールに熱くなるには少し年を取りすぎているけれど、アルゼンチン人にとって、この試合はとても大きな意味を持つんだ。優勝争いをしているシーズンなんかは特にね。でも今年はこの有様だから、少しばかり空きがあったのだろう」
1978年(僕が生まれた年でもある)、アルゼンチンでW杯が開催された。軍事政権下で行われたその大会で、ロドリゴは試合会場の警備を任されたそうだ。いみじくも全うした任務の末に、自国代表の優勝の喜びを味わった彼の周りには、フットボールに携わる多くの友人ができた。
そして27年後、ボカの芳しくない成績と相まって、幸運は得難いチケットとなって彼の息子の友人のもとに舞い降りた。
「楽しんできなさい。まちがいなく、君にとって貴重な経験になるはずだから。あのスタジアムはね、本当に呼吸するのだよ」
ラッキーが過ぎて罰が降らないかと心配になるくらい、嬉しかった。
ボンボネーラに近づくにつれて……。
日曜日、ブエノスアイレスの街の頭上には雲ひとつない空が広がっていた。街角で頻繁に見かけるカソリックの神様たちが、この特別な日のために用意してくれたようなきりっとした青空だ。
その空に向かって煙を巻き上げる年季の入った路線バスは、ギシギシと車体をきしませながら、埃っぽい道路を走っていく。錆びた窓枠の外には、青と黄色に身を包んだボケンセたち(ボカのサポーター)の歩く姿が目立ちはじめる。遠くから太鼓の音がする。人々の歌声が聞こえる。僕は腕時計を見る。キックオフまで、あと少しだ。
「ラ・カンチャ!(スタジアム!)」
バスの運転手が大声で知らせてくれた停留所で、大勢に続いて早足に降りる。非公式のユニフォームやフラッグを売り歩く老婆と何度かすれ違い、左右の住居の軒先にも同じような品揃えの物売りが立ち並ぶ。ボンボネーラへ近づくにつれて、人込みは激しく増していき、警備の警官たちが柵を張って入場を制限し始めた。
ちょうど目の前で、一旦柵が閉じられたとき、足元にかすかな振動を感じた。