“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
選手権躍動の“2年生10番”須藤直輝。
進学かプロか、揺れる高校生の本音。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/02/29 08:00
春に高校3年生となるMF須藤直輝(昌平高校)。すでに多くのJクラブから関心が寄せられている。
サッカー選手と、もう1つの夢。
「実はもう1つ、教師になりたいという目標があるんです。子供が好きというのと、教師として、指導者として生きていきたいという思いがあるんです。目指すきっかけは中学生の時、3年間ずっと同じ先生が担任で、その先生が今の自分を作ってくれたというか。
大宮アルディージャのジュニアユースでプレーしていた僕が、ナショナルトレセンやJリーグ選抜、年代別日本代表とかに選ばれ、ちょっと天狗になっている時期に、学校で『お前、それは違うぞ。(実績があろうが)ほかの子と同じ生徒なんだからもっと謙虚になりなさい』、『サッカーでは優秀かもしれないが、学校生活は別だぞ』、『勉強もちゃんとやらないとサッカーでも認めてもらえないぞ』と何度も言い続けてくれたんです。
最初はちょっと『うるさい』と思って反発していたのですが、だんだん先生の熱意というか、本当に自分のことを考えて言ってくれていることに気づけたんです。だからサッカーだけではなく勉強も頑張れたし、調子に乗ることもなかった。今の僕があるのは先生が何回も何回も懲りずに言い続けてくれたおかげ。そういう先生に自分もなりたいと思うようになったんです。
サッカー面でもこれまで多くの指導者と関わらせてもらって学んだことを、子供たちや次世代の選手たちに伝えたいという思いがあるので、自分の中で教師は大きな夢の1つなんです」
一歩、外の世界に出れば、そこには違う世界が広がる。「お山の大将」にならないように指導してくれた先生の存在が、彼の視野を広げたのだ。
大好きなアルディージャで得たもの。
「プロサッカー選手になりたい。その気持ちに揺るぎはありません。中学進学時はアルディージャジュニアユースにチャレンジして、昌平への進学は自分で決めた。すべてはプロになるためなのは間違いありません。でも今後の人生を考えると、『ちょっと待て』という自分もいるんです」
須藤は埼玉県熊谷市出身。小学校時代は地元のクラブでプレーする傍ら、大宮のスクールにも通っていた。さらにNACK5スタジアムはもちろん、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場でのホームゲームはよく観戦に行った。そして、中学進学時にジュニアユースの合格を勝ち取ると、左サイドハーフとして頭角を現した。
当時から須藤の巧みな足技は注目の的で、ユース昇格の打診も受けていた。
「アルディージャに入ったことで、僕は組織で戦うことの重要性を学びました。取られたら取り返せの精神もここで植え付けてもらった。感謝の気持ちでいっぱいです。でも、僕は選手権への憧れもありましたし、教師の夢もあったので、高校サッカーで文武両道を目標に頑張りたいと思った。
同じ埼玉の昌平高校の練習に参加をした時、紅白戦で4-2-3-1の左サイドハーフで出たのですが、そこで『チェンジしろ!』と言われたんです。昌平では『3』の部分はローテーションしながら、どこにでも入っていく。僕がトップ下やボランチ、右サイドの位置に入った時に『あれ?俺はここからどうやってドリブルをすればいいんだ?』と混乱したんです。
当時の僕は左サイドから仕掛けて右足のシュートが得意でしたが、その形とは違うプレーを求められた時に何もできない自分に打ちひしがれた。自分に足りないものが多すぎると痛感しましたし、昌平に行けばそれを補うことができると確信したんです」