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パラ水泳・成田真由美。多くの挫折を
経験しても「楽しい人生」と言える理由。 

text by

松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byYuki Suenaga

posted2019/11/18 07:00

パラ水泳・成田真由美。多くの挫折を経験しても「楽しい人生」と言える理由。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

普段の活動からサポートをしている棟石理実さんと成田真由美(右)さん。多くの人との絆で彼女の活動は支えられている。

「その時に『自分を超えたー』って思うんです」

成田「さんざん心配をかけてきたのでね。親孝行というか、頑張って返そうとしても返せない、それくらい迷惑をかけちゃったので」

松岡「ヘンな話、僕が母親だったら、『そんなに苦しいなら練習をもうやめても良いよ』って言うと思います」

成田「ああ、母はいつでも水泳を辞めて良いよって。苦しい練習はしないでって言いますね」

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松岡「でしょ! なのに、頑張る。苦しいことを楽しいって思える。そのメンタルを真似したいんです」

成田「すごく苦しいんですよ、練習は。苦しいときに涙が出て、ゴーグルにうっすらと涙がたまることもある。その時に『自分を超えたー』って思うんです。今日も強くなれた。その収穫が嬉しくて」

松岡「やっぱり真似できません(苦笑)。泣きながら練習をしてるんですか?」

成田「はい。でも、泳げる自分がここに存在していることが幸せなんです。病気になっちゃうと、泳ぎたくても泳げないんですよ。それに比べれば」

松岡「もう病気は克服されたんですか」

成田「残念ながら、難病なので。また再発する可能性はあります。ただ私は手術をしてもらえるんですよ。手術をしても治らない方もいるじゃないですか。それを思えば、ね」

松岡「ポジティブ真由美に変わる最初の切っ掛けは、病院にいた子どもたちなんでしょうね。命を基準に考えたら、多少の痛みや辛さは我慢できる。僕も今日話を聞いていたら、ちょっと前向きな気持ちになってきました」

成田「知らないひとから献血もたくさんもらっているし、今飲んでいる薬にも開発者がいて、作ってくれた人がいて、色んなひとが関わっているんですよ。そう思ったら感謝ですよね」

松岡「真由美さんは人から好かれるね。笑顔が多いです。僕がその笑顔に感化されたように、これを読んだ読者がまた元気をもらって、ポジティブが世の中に増えていく。これはすごい力ですよ」

成田「でも自分では全然そうは思っていなくて。私の中ではもう1人の成田真由美がいて、その人がすごく頑張り屋で、負けず嫌いでって感じ。私、いま40代の後半なんですけど、52歳で死ぬと言われているんです」

松岡「何を言っているんですか? 死ぬ?」

成田「お世話になっている九州の先生に、『52で死ぬ』と」

松岡「そんなこと言うのは、バカヤロウですよ」

成田「このあいだメールしたら、ちょっと寿命が延びて、54までは生きそうだねって(笑)」

棟石「人生が短いと思ってるから、『今』を必死に生きるんだよね(笑)。でも、彼女はそれで良いんだと思います。目の前の目標に向かって努力しているうちに、52を超え、54を超え、気づいたら80くらい(笑)。そうやって歳を取っていくんだろうなって」

成田「かもね」

松岡「サクラは散るけど、真由美桜は散りません。東京でもぜひ、大輪の花を咲かせて下さい!」

(構成:小堀隆司)

成田真由美(なりた・まゆみ)

1970年8月27日、神奈川県生まれ。中学生のときに横断性脊髄炎を発症。ウィルスによる脊髄の炎症で下半身が麻痺し、車いす生活になる。その後、23歳のときに水泳大会の誘いを受けたのをきっかけに水泳を始める。96年アトランタパラリンピックに初出場、金メダル2個を獲得。その後もシドニー、アテネ、北京と4大会連続出場し、4大会合わせて計15個の金メダル、3個の銀メダル、2個の銅メダルを獲得。現役生活を続ける一方で、2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事も務める。

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